【日記】R040425 記憶の記憶

 もう10年以上昔に、ほんの一時だけ、私は羽村というところに住んでいた。羽村市というのは青梅市と立川市の中間にある東京でもっとも人口の少ない市で、しかも私が住んだのはその中心にある羽村駅から歩いて30分以上かかる、辺鄙といってもいいところにあるアパートだった。それがたぶん世間で「若気の至り」とされるようなことだから、また、この記事で赤裸々な告白をしたいわけではなかったりするから、そんなことになった経緯については書かずに省く。……
 と、ここまで書いて、僕は羽村について語る必要に迫られながらも、そしてあまり感覚を空けずにnoteを更新しなければならないという義務感を覚えながらも、他人にたいして語りたくはないことが多くあることに気づかせられる。だから、これから書く文章は、当時書いた他の日記がそうであるように、自分自身に向けてだけ書かれたものになるだろう。それが他人向けの「赤裸々な告白」に陥らずにそれを書ける唯一の方法だからだ。以前と同じように、いつかこのことが自分にとって必要になるはずだという予感を抱きつつ、これは書かれている。

 前置きが長くなった。先日4月2日に僕は羽村で桜を見てきた。これまでにも何度も見てきた日野自動車工場沿いの桜だ。

 振り返り見て、僕が過ごすことになったいろんな場所のなかで、羽村だけが、私的聖地とでも呼ぶべきものとして選別されて、桜の季節にそこを訪れるのが、しだいに私的年中行事となった。だから、これまでにも何度もやってきた。いまとなっては、町を歩きながら思い出すことも、そのきっかけになった当時のことだけではない。歩きながら思い出すのは、羽村を去った後で、過去を懐かしんでは、また羽村に桜などを見にやってきた日のことだったりする。僕がまだ羽村に住んでいたころは日野自動車工場沿いの桜並木をわざわざ見に来るような人は稀だったが、再びやってきたあるとき、そこでは地域住民を工場敷地内に招いて桜まつりが行われるようになっていた。さらにその後コロナが流行ってからは、それも中止になっている。たとえば、そんなことだ。
 けれども、じつのところ、思い出すことがどこまでが真実の経験なのか、もはやわからなくなってしまっている。たとえば、羽村のツタヤに立寄って、『コードギアス』のDVDを見かけた記憶があるのだが、アニメが放送された時期からすると、それは羽村を去った後であるはずである。でも、記憶にあるような目立つ位置に『ギアス』が置かれているような時期に、僕が昔を懐かしんで再び羽村に向かったかどうかは、それ以外の記憶と整合的に考えてみると、ちょっと確からしくない。

 それでもさらに考えていると、たしかに行ってそのときのことがノートに書き残されているような記憶らしきものがあるようにも思え、いや、それを見たのはその後金沢か仙台に旅行に行ったときに立寄った書店か何かの風景だったような気もするのだ。……

 この文章を書きはじめたとき、私は、自分の記憶にあった羽村の町の風景が、すっかり変わっているように思えたことを報告するつもりでいた。私が眺めていたり立寄ったりしていたこどどもが、すっかり姿を変えている。それを言いたかった。けれども、私の中にある、目の前の風景と比較する記憶そのものが、いまや変わっていることに気づかざるをえない。それがたぶん、はじめの意図とは異なりながらも、今日の私が描くべきほんとうのことだったのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?