【日記】R040209 第9地区

 物語論勉強会で自ら課題に設定した『第9地区』を見た。たぶんこれで3度目の視聴だ。
 あらためて印象的なのは、シャールト・コプリー演じる主人公・ヴィカスの表情の移ろいである。ドキュメンタリー風の導入からあらわれるヴィカスは、物語の序盤では、じつにあかるく生き生きした表情を見せてくれる。仕事をこなし、家族を愛し、仲間たちに声をかけられ、かけかえされる。
 サイズのあった服を着るように過不足なく、彼は己の世界で立派な大人として生きている。それでいて、その姿は子どものように無邪気に見える。あるいは、その後の運命をすでに知っている私には、そのように見えてしまう。やがて彼の顔色は青ざめて、うつろな瞳は居心地わるくあたりを彷徨うようになるのだ。まるで一体どこを見ればいいのか問うているようであるが、その問いに答えべき者なんて、見つかるはずもない。そして最後にはその表情さえもわからない異形の者と化す。
 こうしてヴィカスを見ていると、彼が序盤に見せたような輝く表情を後半でもあらわしているキャラクターこそ、クーバス大佐であることがわかる。クーバス大佐は無知によって死ぬ。そして、ヴィカスもあかるく生き生きとしていられたのが無知ゆえであったのかもしれないのだが、この2つの無知は同じものなのだろうか? それを確かめるにはもう1度見なければならないだろう。

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