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深夜、赤信号を待つ人

車通りのない、誰もいない道で、無益に突っ立っている数十秒。
きっと積み重なると大層長くなるのだろう。あるいは、数字にすると想像よりずっと短いのかも知れない。どちらにしても、無益な時間に変わりはない。
ただ「待つ」をしているこの時間に、私は、我々が宇宙に存在する塵のひと粒にすぎないのだと実感する。

けれど、私は、この無益な時間を案外好ましいと思っている。そう思いたいだけなのかもしれないが、きっと私は「無駄」が好きなのだ。

どうせ排出するのに摂らざるを得ない食事。どうせ死ぬのに生きざるを得ない人生。どうせ否定も肯定もしないのに、真剣に聞いているフリをする友人の愚痴や、昨日見た夢の話。
どれもこれもなんの役にもたたない。ひどく無駄なことばかりだ。

「無駄なことはひとつもない」と言う人がいる。
そんなわけあるか。どれもこれも全部無駄だ。人ひとりの命くらい無価値だ。

人類が誕生したのは、紀元前5万年前くらいと言われているそうだ。最初に生まれた人類から、現在生きている人類までを合わせると、だいたい1080億人くらいになるらしい。(2015年あたりのデータを見ているので厳密にはもっと多いはずだ)
なんだ、数字にすると案外少なく感じるが、現代の世界人口である75億人がこの総合人口のたった7%にあたるということらしいので、1080億人というのはとんでもない数なんだろう。
膨大な数のうちのたったひとつなんぞ、ゼロに等しい。つまり我々ひとりひとりが生きていることの価値などほぼないに等しいはずなのだが、不思議なことにそうは思えない。おかしな話だ。

私にとっては、呼吸も食事も排泄も、友人の愚痴も、夢の話も、アイドルソングも、ツイートも、そのひとつ一つに大きな価値があり、けれどやっぱりその全てが無駄であっていいとも思う。

深夜、赤信号を待つ時間、私はそんなことを考えている。
無益で、無価値で、好ましい。

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