見出し画像

2019年夏

夏、終わったみたいよ。

どうやらこの世界は急激に冬へ向けて舵をとりはじめたようです。貧弱な肉体と怠惰な精神のハイブリッドである私の存在は、終わっていく夏とともに名前をつけて保存→フォルダ内で放置→数年後のぼく「なんだこれ?」→ゴミ箱へ移動されしまう可能性が出てきました。
どうしよう。大変だ。

それならそれで別にいいか。(情緒不安定)

先ほどまで布団でぼんやり眠気をあやしては気分良くごろごろところがっていたのですが、急に尻から激臭のガスがまろび出て、驚いたフェレットが布団から飛び出して、何を思ったか毅然とした顔でぶりぶりとうんこを出して、そしてまた布団に帰って来るということがあり、あまりにおかしくて可愛がっていた眠気がどこかへすっ飛んで行ってしまったので久々に文章でも書こうかという次第です。

---

2020年の夏が終わるときには、2019年の夏のことを考えた。

2021年の夏の終わりには、今年の夏のことを思い浮かべるのだろうかとその頃は考えていたような気がするけれど、やはり毎年思い浮かぶのは2019年の夏のことだ。
「あの夏」から、アップデートは進まない。もう何度も、似たような一年を繰り返しているからだ。

職場と家、近所のスーパー。それ以外の景色はほとんど見ない。
私は自分が思っていたよりも生きる思考をこねくりまわすには外部刺激が必要な人間だったようで、だから今はだいたいのインプット作業をインターネットに依存している。
インターネットに四季はない。あるのは旬だけだ。それはとてもめまぐるしくて、私はとても着いて行くことができず、結局懐古趣味ばかりが上手になって昔見たようなアニメをまた見ては何かを得た気になっている。

思考停止だなあと思う。老人が老人らしい立ち居振る舞いになっていく理由が明確に分かってきて、それに不安や焦燥を抱かないことにうっすらとした危機感はあるれど、それも別にまあいいかと全ての思考を先延ばしにして、目の前の仕事と人間のことだけを考える。そんな毎日がここ一、二年。
無価値ではないと思う。確かに必要だと思う。けれど、自分である必要はない。ほんのわずかでも耐え難いものを感じるのなら、私はここにはもういたくはない。
そればかりが理由ではないけれど、もうだめだと思うことが山ほどあるけれど、やはりどれをとっても私はもうここにいることに耐えられない。

仕事を辞めます。お疲れ様でした。

---

季節の話をしたかったのに、仕事を辞める話になってしまった。
見えているものしか書けないのでこういうことになる。

いつだか、noteを毎日更新していた時期に私のエッセイを読んでみたいと誰かに言ってもらったことがあるのだけれど、こうだから、私には書けないのだよ。
そもそも書きたいものとかないのかもしれない。自分をわかってもらおうという気がほとんどないので。自分のこともよくわからないし。

もう少し上手になれるといいな、人間。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?