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ジョセフ・クレパン お告げで絵を描いた男

 ちょっと前から「UFO手帖」という同人誌に参加しており、ここではオカルトめいた話を書いている。といっても、私が書いているのはビリーバー向けのどぎつくえげつないオカルトではなく、いろんな「不思議な話」を書いているだけなのだが。そこに載せようかな、と思ってちょっとひらめいた話を以下に記す。

 本来、絵画を専門的に学んだことのない人が描いた絵や作った彫刻のことを「アール・ブリュット」とか、絵画の世界の外からのアプローチという意味で「アウトサイダーアート」などという。日本では障害者アートとして認識されているようだが、「アウトサイダー」の意味を「厄介者」のように捉えている人が多いせいか、「エイブル・アート」とも呼ぶらしい。

 アウトサイダーアート界隈では、19歳の頃から60年間「非現実の王国で」という絵物語を描き続けたヘンリー・ダーガーという人物がいるのだが、彼はあまりにも(一部で)有名過ぎるし、いろんな本も出されているので割愛し、ジョゼフ・クレパンを取り上げてみたい。私がジョゼフ・クレパンを知ったのは澁澤龍彦の「幻想の画廊から」であるが、ジョゼフ・クレパンはこの本で取り上げられていたシュルレアリストたちと明らかに違っていた。

 ジョゼフ・クレパンはフランスの田舎に住むトタン屋根職人で、一種の民間療法の「医者」でもあった。この民間療法というのがトンデモない。ダンボールをハート型に切り抜いて、これを病人の患部に乗せて「治療」していたというのである!当然追求を受けたが、彼はその「治療」に対して代金を受け取らず、怪しげな薬を調合しているわけでもなかったので、そのままにされた。

 クレパンの絵は、左右対称の何かの建物らしきものがほとんどだ。彼が絵を描き始めたのは、60歳を超えたあたりからである。当然、それまで絵の勉強なぞしたこともなかった。
 ある晩に彼が楽譜を写していると、彼の手がひとりでに動き出して、不思議な幾何学的な図形を描き始めたという。そして翌年、彼のノートが様々な絵で埋め尽くされた頃、彼はある「お告げ」を受けた。

「お前が300枚目の絵を描きあげたら、戦争が終わるだろう」

 クレパンは、そのお告げを盲目的に信じた。
 そして、彼が300枚目の絵に署名をした日が、1945年5月7日。正にドイツが降伏した日だったのである。
 更にその後、同じ「お告げ」の声は、新たなる「お告げ」を行った。

「45枚のシリーズを描きあげた日に、お前の仕事と運命が完成されるだろう」

 クレパンは、1947年の10月にそのシリーズに取り掛かった。そして、その翌年、43枚まで描きあげたところで彼は死んだという。

 澁澤龍彦によると、クレパンは夜しか絵を描かなかったという。ラジオの音楽や娘の演奏するヴァイオリンの音色を聴きながら描いた。だが、彼女は父が絵を描くところを一度も見たことがなかった。「誰かに製作中の絵を見られたら、私の手は動きを止めているだろう」とクレパンは語っていたらしい。澁澤は「分裂病者が霊媒のように、ある超自然の力に示唆されて、突然、絵を描きはじめる場合があるというのは、どうやら本当らしい」とクレパンを評している。

 これと似た現象が、「お筆先」である。例えば神道系新宗教「大本」の教祖出口なおは、たびたび神がかり状態になり、無意識に文字を書き「お筆先」を行った。ジョゼフ・クレパンもまた、何かに取り憑かれたかのように奇妙な絵を描き続けた。
 彼が超自然の力に示唆されて絵を描いたのだ、というのは懐疑的視線からすればナンセンスであり、クレパンは一種の心の病気であったのだ…と言ってしまえば事足りる(私もそう思っている)のだが、それでは面白くない。

 私がジョゼフ・クレパンのことを思い出したのは、「UFO手帖」の編集長でもある秋月朗芳さんのツイッターでの発言である。

 いわゆる「ミステリーサークル」を評しての発言だ。90年代に世の話題を(少し)さらったミステリーサークルブームは、UFOだプラズマだと騒がれたものの、結局のところイギリスのダグとディブという2人の老人がブームの火付け役で、派生的に人の手によって作られたものであったことが明らかになっている。しかし、「ただのイタズラでした」にしても、なぜ人はここまで作り上げることができるのだろう。そして、「俺が作ったのだ」と言わず「宇宙人の仕業だ!」と騒ぐのは…。

 人は時に、奇妙としか思えないことをする。
 そこが面白いし、薄気味が悪くもある、のである。

 なお、クレパンに関する単著として「フルーリ・ジョゼフ・クレパン:日常の魔術」という本があるそうで、今度読んでみようと思う。

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