オリガミキングの考察

実は登録していたけどあまり使い方がわかってないnote。
最近ゲームにハマっていて、自創作進捗以外のゲームについて語る場もいるなあと思い立ち、こうしてはじめて記事を書いている。
個人ブログすら半年に一回更新するかしないかレベルなので更新が持続するかはわからないが、今回のとあるゲーム作品については、この気持ちをどこかに記録しておくしかない!!と奮起し
ただいま深夜4時、クリア直後の興奮とともにこの文章を書き起こしている。

 

そのゲームとはswitchのマリオ作品だ。

そう、皆大好きマリオ。

明るく楽しいマリオ。

最後は平和な

 

われらがマリオ!!マンマミーア!!!!YEAH!!!

 



きっとこの作品も陽気なイタリア人マリオと共に。

 

仲間たちと平和に。

 

明るい気持ちでクリアできる。

 

そう思っていた。

 

 

 

しかし…

 

 

 

この作品を読み終えた今の感情は…、感動7割、しんどさ3割である。

 


※以下ネタバレ記事





開始数秒でネタバレするダメな記事で申し訳ないが、

この作品はラストでとある『仲間』が消えていなくなってしまう。

 

私はこの「しんどさ」を今から消化していきたいと思っている。

きっと制作側はこんな意図があったに違いない!

そして私はこう考えてしまったからだ!

などなど、色々と考察しちゃうのだ。

でないと辛すぎる。つらすぎるよ…っ

ちなみに

 

こうしたバッドエンド、嫌いじゃない

 

・・・・おい!

 

どっちなんだい!?

 

どっちもである!!!

 

どっちの気持ちもある!!!😢

 

感動も面白さもしんどさもあり、これが俗にいう

「感情がぐちゃぐちゃ」状態かい!? 

 

今から書く記事を決して誤解して欲しくないのだが、作品への批判の意図はまったくない。

ただ、色々考察して消化したいだけである。言うなればただの自己満足。

 

総じて言えることは、

『ペーパーマリオ オリガミキング』は神ゲー。

 

この認識は今後もぶれないつもりである。

 

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きっかけ

引っ越しをしてからまだネット環境が繋がれておらずしばらくネットができないこと、

SNSをやめたことから、暇すぎてswitchのゲームを遊び始めた。

 

乙女ゲームで私を殺しかける褐色黒髪忍者にときめき悶えたり、
はたまたカービィやワドルディ達と戯れ。ゲームの映像美にびびり、オープンワールドに「へええっ!?まだ歩けるの。。。」と腰を抜かし、
とにかく昨今のゲーム作品のあまりのクオリティに圧倒され、そして一気に引き込まれた。
この一か月半くらい、私はちょっとしたゲーマーとなっている。
(ちなみに操作はいつまでも上手くならない。)

 

 

 

 

オリガミキングとの出会い

少し前に行われた任天堂の公式発表によると、どうやら「ペーパーマリオRPG」のリメイク版が出るとの事で、それがすごく面白いと評判だったため、その前作品である本作を履修しておきたい!と思ったのがきっかけだった。

(シリーズの続編と思っていたのだが違うようで。戦闘システムがパズル形式になった新しいものだった)

 

想像以上の面白さ

遊んでみるともうやめドキが全くわからないくらい面白い。

恐ろしい作り込み。驚愕。楽しい!!!!はもちろんの事、

手探りで探索し発見する、紙だけの世界で

こんな胸がときめく冒険ができるなんて思ってもみなかった。

 

発想の凄さ

まずこの発想は大天才だと思う。

※制作中記事 

個性豊かなキャラクターと癖になる可愛さ

 ※制作中記事

そしてまさかのエンド!!

 ※制作中記事

 

作品が賛否両論!なぜ?

実はオリガミキングの存在は結構前から知っており、

感想が賛否両論であることも知っていた。

それはなぜかはわからなかった。

前述のように私はこの作品があまりにも面白すぎて大絶賛している。

大好きな作品が賛否両論な事にショックを隠せない。

※理由は様々あるようだが、今回バトルシステムについての考察は省きストーリーだけみていく。

正直バッドエンドは好きなのでわりと受け入れてしまったし、

あのエンドは悲しいけど、ラストがマリオらしくなくてそれがまた珍しくて好きだった。

 

…が、批判するひとの気持ちも少し理解はできる。

これが私のなかにある数割のしんどさにつながる。
「明るいマリオ」がやりたかったプレイヤーとしては、
しんどさを解消したい気持ちがあるのは想像にたやすいのだ。

 

だけど、この作品は実は間違いなく「ハッピーエンド」であり、
いつもの「明るいマリオ」だ。理由は後述していく。

 

 

まずは以下、
この作品が「オリビアと共存してハッピーエンドとはいかなかった」理由を

長々考察していく。

ひとまず要約すると

 

・「オリガミ」と「ペーパー」は「ひと」と「モノ」なので

モノである彼らは「ひと=いのちあるもの」としてマリオ達と共存ができない

・しかし、「ひと」と「モノ=いのちなきもの」としては共存できる。

「対等」ではないけれど、日々の暮らしでオリガミはいつも傍にいる。

ラストは、そんな「元の状態」に戻っただけ。

・彼らは「ゲスト」であり、原作シリーズに忠実な(ピーチ姫を助けることが目的の)いつものマリオとしてはハッピーエンド(正しい運命)だった

・オリビアは「モノ」に戻っただけであり、マリオと別れたわけでも、その存在が消えたわけでもない。

・そして椅子に2人がいないのが気がかり。折られる前の紙がもしこの世のどこかにあるならば、いのち折りという技術がある限り「ひと」に戻ることはでき、きっといつかマリオ達と再会できるのではないか、そう願って信じたい。

ここは真エンドを知る前に考察した箇所です。

 

 

 

考察

・作品演出が「Z指定」だといわれる理由

・ラストのオリビアが可哀想だと言われる理由

・見えてきた開発側のこだわり

・単純に「ペーパーマリオ」のを受け継いだ作品がやりたかったぽい

→これは戦闘システムの違いの話なので省きます

 

 

 

①作品演出が「Z指定」だといわれる理由

プレイヤーは「ペーパー」と「オリガミ」を「ひと」だと認識している。

だからこそ、これらがはさみで切られたり、穴を開けられたりすることを「Z指定」と捉えてしまう。これは当たり前のことで、私たちはそれが紙であれなんであれ、喋ったり動いたら愛着を持つし、切られると「可哀想だ」と感じてしまう。

しかし、『物理的』にみると、どちらも『ただの紙』=切っていいし折っていいもの

である。

この作品はこういった「プレイヤーの感情移入」と「物理的な事実」を両方抱えているからこそ、

複雑に相互摩擦が起きて「倫理的」な議論が起きている気がする。

 

・なぜ「共存エンド」が描かれなかったのだろう?

この作品は「ペーパー」と「オリガミ」がはっきりと区別されている。

ペーパーは切られても穴をあけられても元通りになるが、
一度「命折り」❔の技術で「オリガミ」させられると元には戻れない

ペーパーとオリガミは同じ「紙」であり一見似通っているように見えてしまうが、

おそらく開発側からすると、

「ペーパー」=「ひと」であり、「オリガミ」=モノ である。

そして「ひと」と「モノ」は同じ立場としては共存ができない。

 つまり私たちからすればどちらも「ひと」であり「共存」できると考えてしまいそうだが、実はここの境界ははっきりと区別されていて、その壁を超える奇跡は起きない。

オリガミ職人が展示用に作った城。

紆余曲折様々なことがあったが、

最後はオリガミ祭りにて展示されている。

そして、これがおそらく「(いのちが宿りマリオ達と対等な関係になっていた)オリガミ」

の終着点である。

 

最後は「ひと」と「モノ」の関係に戻ったのだ。

それはもう、本当にシンプルな関係に。

 

 

 

 

 

・ペーパー同士の共存は描かれている

 

各ステージ攻略にはそれぞれ流れがある。

それは

「ステージが不穏かつ荒れ果てている」→「マリオが解決」→「ステージは元通り」

→「平和が訪れ、街の人が活気づき、共存する」

である。

特に顕著なのは、「第三ステージのキノピサンドリア」にて、

ムーチョはキノピオがボスに捕らわれて街に誰もいなくなってからこの街に暮らし始め、そのあと開放されて戻ってきたキノピオと一緒に暮らし始めている。

つまり共存だ。

種族の違うペーパー同士の「対等な共存」はしっかり描かれているのだ。

しかし、オリガミは「いのちが宿ったところからなかったことに」なった。

オリガミのオリビアは、マリオと私たちにとっては「大切な仲間」であったが、

この世界にとっては、モノとして還る存在だった。

意思を持ち、「喋れていた」こと自体がこの世界では「イレギュラー」だったのだ。

 

 

 

 

 

 

ラストのオリビアが可哀想だと言われる理由

 

・オリビアには「善」しかなかった

→この世界では物語の始まりから「オリガミ」=「悪」として捉えられている

 ※制作中記事

・ドラえもんのび太の鉄人兵団と星のカービィディスカバリーのゲストキャラを例えた例

  ※制作中記事

 

・オリビアは、この先マリオといたいとも、この姿のままでいたいとも実は願ってない

オリビアの目的は
兄のペーパー世界への支配をとめることであり、この世界をオリガミからペーパー達に返すこと。

そして兄とともに、還ることだったのかもしれません。

 

 

 

④開発側は原作キャラクターを大切にしている

 

私は、このゲームを最後まで遊んで、

「原作キャラ」と「オリガミキングキャラ」の間には一線がひかれていて、

その点でも共存することはなく、だからこそあのエンドには続きが無い(ボス前に戻る)のだと感じてしまった。

 

それは本作の原作キャラへの忠実さをみていくとよくわかる。

これは「ペーパーマリオRPG」との違いでもあるのだが、

オリガミキングにはデフォルトの仲間しか出てこない。外見の話である。

特徴づいているとしたら服装や口調の違いくらいだ。

 

マリオストーリーとペーパーマリオには「従来のマリオシリーズにはいない仲間キャラクタ-」が存在する。しかし、オリガミキングには従来に忠実なキャラしか存在してない。

わかりやすく例えると、ピンクボムのピンキーと、ボム平である。

ボム平の外見はどのシリーズにも共通だが、ピンキーはマリオストーリーにしかいない。

 

つまり、「このゲーム限定」のキャラはほぼほぼ「オリー」「オリビア」「その他のオリガミたち」

であり、ペーパー側に限定キャラはいないのだ。

 

原作シリーズに忠実だという事はつまり、

はっきり「オリガミ」たちを「イレギュラー」に描いているということだ。

物語によくある「このキャラ(ここでいうオリビア)だけは残る、帰ってくる」事をオリガミキングはしなかった。

それは開発側が「原作キャラ」とオリガミキングキャラを区別していたからだと考えている。要するに、「映画版マリオ」である。

どらえもんもそうだが、映画だとオリジナルキャラが出てきたりする。

そしてそのキャラとは必ず最後に別れる結末が多い。

つまり、その世界の中で存在が完結してしまうのだ。

今回も作品内で「完結」し、最後は原作キャラのみが「ひと」として残る形になった。

 

オリビアが復活するという奇跡が起こらなかったのは、原作シリーズの流れに忠実に、そして原作シリーズのキャラを大切にしたからである。

 

私は序盤で

原作で敵であるはずの「クリボー」が気さくにマリオに声をかけているシーンをみて、

クッパも含め、彼らは今作では仲間側なのだと感じたし、

 

ピーチが救われたシーンをみて、

この物語は「オリガミ」の野望を防ぐだけでなく…いや、それよりは、「ペーパー」であるピノキオ、そして、ピーチ姫を救う話なのだと思った。

例えオリビアがどんなにいい子で可愛くても、「オリガミ」である以上は

ペーパーの敵であり、それが覆ることは最後までなかったのだ。

 

私たちは長旅の結果、「オリビアとマリオの物語」「オリガミキングの野望をくい止める物語」と考えてしまうが、

もしかしたら、おそらくこの話もこれまでの作品同様に

「ピーチを救う」事が最終目的であり、

それがメインである。

その点

でも非常に原作シリーズに忠実だったのではないかと思う。

 

つまり、ラストは

「ピーチ姫を救うハッピーエンド」であり、ゲストは退場し、

結果的にはいつもの「マリオ」であったのだ。

 

バッドエンドだと感じた人がいるのは、

オリガミであるオリビアに非常に愛着があったからである。私もそう。。。

 

 

 

 

以上が考察です

いかがでしょうか・・・・

 

 

 

ってっこら~~~!

 

話を救えない方向にもってきてしまったよ!!!

 

プラスに考察してしんどさを拭うのではなかったのかい!!!

 

救えなさ過ぎてしんどいよ!!ごめんなさい

 

 

 

 

・・・とはいえ、まだ希望がある。もう少し考察してみよう

 

オリビアが別れの言葉を告げなかったのはなぜだろう?

「マリオさん、今までありがとう。とても悲しいですがさよならです…」

という言葉を私は待っていたが、

一言もなく、ただ目を合わせて、何かを決意した様子で

オリビアは願い事を言って静かに消えていった。

あんなに天真爛漫で明るいコとそんな最後になってしまったことに

放心状態になったプレイヤーはおそらく私だけではないはずだ。

 

何も言わずに消えたのは、皆に悲しい想いをさせたくないという気持ちもあったともちろん推測できるが、他にも理由があるのではないかと思う。

 

・「モノ」であることを示唆

最後に一言も喋らなかったのは、兄の意思を継いだ「オリガミ」の王女としての彼女の矜持かもしれないし、自らもオリガミ=「モノ」=喋らない存在であることの照明だったのかもしれない

・オリビアは傍にいる

紙に戻ったオリガミには

「いのち」が宿らず喋ったり意思をもたなくなったのはたしかだ。

しかし、オリビアは紙に戻っても「オリガミ」として、

日常的にマリオ達の傍にいる。

傍にいる。

別れてない。

だから別れを告げなかったのでは。

 

きっとそうだ(確信)

 

最後にオリガミ祭りと灯篭のような催しがあるが、

実はオリガミたちもお祭りに参加している。

そう、家や街の装飾、そして城という展示品。これらは全てオリガミでできている。

つまり「ステージが不穏かつ荒れ果てている」→「マリオが解決」→「ステージは元通り」

→「平和が訪れ、街の人が活気づき、共存する」

、この流れが最後のキノピオタウンでも実は描かれている。

それはマリオ達とオリガミ達の、「ひと」と「モノ」としての「共存」である。

 

灯篭=オリガミやオリビアたちの「消えたいのち」だけを祈っていたのだと考えると、

やはり「オリガミ」という媒体自体はしっかり残り、いのちなき「モノ」という形でマリオ達の傍にいるのである。

 

また、展示された城に「オリビア」と「オリ‐王」が鎮座してない

ここに2人の代わりのオリガミ人形だったりいのち折りしてない2人を

オリガミ職人が折らなかったことが私は気になっている。

2人は所在が不明。

彼らはオリビアの願いから「元の紙に戻って」いる。なのでこの世に「紙」としてはまだ存在しているはずである。

二枚の紙はどこにいったのだろう?

もしかしたら、もしかしたらだけど、

職人の手元に戻っているかもしれない。

まだ折られていないだけで。

職人は、「いのち折り」を封印するとは言っていたが、力を失ったわけでもなんでもない。

封印するといっただけでいのち折りはできるのだ。

オリガミ職人が「いのち折りやめる」意思を解けば

また今後「いのち折り」が何らかの形で必要になった時に、

オリビアたちがまた生まれる可能性はあると思う。

もしマリオが望めば、キノピオはいつも救われてる恩として

願いをかなえてくれるに違いないと思ってしまう。

 

何より切られても穴開けられてもペラペラ紙で元通りになる世界なのだから、きっと希望は!!ある!!うわん!

 

結果的に、真エンドの存在から、「マリオ達」が「いのちあるオリビア」に再会することを願うのは難しいとわかった。

なぜならオリーはオリガミ職人が生み出した作品であり、オリビアはオリーが作ったとはいえ、
彼が「いのち折り」ができるからこそ生まれた、彼の子どもだからだ。

彼が「いのち」のないオリガミとして折って城の椅子にそっと鎮座させた、というのが

全ての発端である彼の願いであり、想いであり、答え。

彼が「いのち折り」を封印したならば、そんな彼の意志にプレイヤーはどうこういえないし介入もできない。

物語は非常にきれいに終わったと思った。

「いのち」のあった頃のオリビアとの思い出とともに。

 ※あとで補足したいのだが、
インタビュー記事があり、やはり作品には制限がかかっていたようだ。そこには開発陣それぞれの葛藤もあったようだ。
別の方の考察ノートを読んでとても考察が深まったため、またいつか追記出来たらいいなと思います🥹

 

です!!

以上、考察終わり!

 

オリガミキングは神ゲーでした!!!!!

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