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Travis Japanの根底にあるもの

あれは昨年のGWのこと。まさかその数ヶ月後、異常な猛暑とともに、とんでもない大事件がやってくるとは思っていなかった2023年の初夏、私はこんな記事を投稿した。

このときの私の気持ちが如実に表れた、さりとて一部建前で隠されているような内容であると、今読み返しても思う。

この記事は「トラジャを、売りたい。」と題して、知識ゼロの状態から自身のマーケティングの勉強をアウトプットしていきたい、という一種の決意表明のようなつもりで書いたものだ。

最後に「いやでも最悪、この予告noteで終わるかもしれん。そうなったら、(中略)何卒指さして笑って石投げてやってください。」と締めていたものの、この記事を公開して約1年と4ヶ月が経とうとしている。もう十分に石が投げられるほどの時間が過ぎてしまっていることに、気づかないふりをしていることに気づいている。

やっぱり「トラジャを、売りたい。」

実際、この期間に何も考えなかったわけではなく、どうやったらもっとトラジャが売れるのかなあ~~と常日頃から頭には浮かんでいた。
ただし、「売りたい」と言っても一介のオタクである私が、当然「方向性や営業戦略、広報戦略を考えたい!」など、出しゃばった真似をしようと思ったわけではない。そんなことをすれば、本当に全方向から石を投げられてしまう。

何というか、ジョハリの窓でいう「未知」や「盲点」の部分を上手く見抜き、心地の良く巧みなセールストークを繰り出す販売員さんを目指したいと思っていた。そう、オタクは有能な販売員となることで、自担の営業活動の一端を担うことができるのである。(ただし、私にそんな能力が身についたのかといえば、全くついていない。というかマーケティングの勉強はちょっと、あの、うん。指さして笑って石投げてください)

ところが、事態は一変。世間ではトラジャを売るどころか、事務所の話題を出すのも憚られるようになってしまった。私は長いオタク人生において、ここまで事務所の話題を避けたことはない。何しろオタク同士でも、この状況に対する考え方は異なっていたからだ。

周りにも、同じく年も重ねて脱退や熱愛、結婚、活動休止など数々の修羅場を共に乗り越えた人も多く、ある程度の心構えというか、少々のことでは驚かなくなったという自負がある。しかし、このような事態は誰一人として経験したことはなかった。だから気軽に話題に出せるような雰囲気ではなかったし、私の一言で誰かを傷つけるのが嫌だったので口を噤んだ。

SNSはもちろん、実生活でもどこに過激派や野次馬根性が潜んでいるかわからない。なんせ私は身内にとんでもない野次馬がいる。父親だ。母と私が事務所のファンだからか、何かにつけてからかってくる節がある。父よ、何かある度に投げてきた冷やかしの数々、私はまだ根に持ってるからな(普段は仲良いです)。

自分の心も、何となく良くない方向にいってるのがわかった。自分で自分が怖いよ私は。なるべくなら心穏やかに、平和な場所で生きていたいものである。なぜなら、自担は今日も美しいからだ。

さて、どうしたものか。もはや有事の際のお家芸ともなったインターネットの断絶とともに、かつての隠れキリシタンのように、意向を確認し合った仲間内だけでオタク活動を続けることにした。そんなこんなで、トラジャを売るどころではなくなってしまったのだ。

あれからおよそ1年が経ち、混乱も少しは落ち着いたように見えるが、その実いまだに手探り状態であることに変わりはない。

彼らが憧れ、かつ彼ら自身をも表す事務所の名は消え、私たちオタクのアイデンティティを表す名も消え、大好きだったグループが改名に至ったときには、かつての青春がすべて否定されたような気持ちになった。

それでも立ち止まるわけにはいかない。彼らも、そして私たちも。むしろ、こんなときだからこそ、やっぱり自分の好きなグループのことは自身で広めて売っていきたいなと、改めて思った次第である。

Travis Japanのセールスポイントはどこか

トラジャの魅力は、パーソナルな部分にも大いに関係してくるのだが、まずは興味を持ってもらえないことには、そこまで行きつかない。とはいえ、トラジャのパフォーマンスは初見でも「すごいなぁうまいなぁ」と言ってもらえる自信がある。でも、それだけでは足りない気がするのだ。「うまい」以外の何かが。

これが難しい。何せ私は、すでにトラジャの魅力に憑りつかれている。パフォーマンスを見ても「は~しゅごい…やっぱトラジャは最高…」で終わってしまうのだ。いや、それが言語化できなくて、なぁ~~にがトップセーラーを目指すだ!(言ってない)

ここで一旦、YouTubeで川島如恵留、宮近海斗、松倉海斗が語った、あるシーンに注目したい。

この動画は2023年1月28日に公開されたものだ。Travis Japanがデビューしてわずか3ヶ月しか経っていない。撮影時期も考慮すると、本当にデビュー直後に考えていることであろう。

まちゅは「トラジャらしさの軸を作る必要がある」、如恵留くんが「それぞれが悩んでもがいている姿すら、エンターテインメントになっている」、ちゃかは「求められることに応えていれば自然と〈らしさ〉は決まるので、今は〈これ〉と決めなくてもいいのではないか」と語っている。(どれも私が勝手に要約しているので、きちんとした気持ちは、ぜひ本人たちの言葉をお聞きいただければと思います)

どの意見も、ファンとして「確かにそうだ」と納得できるものであり、彼らはデビューしてからこれまでの約2年間で、まさにそれを体現しているところなのだろうと思う。コレオの引き出しは多くなり、音楽のジャンルも幅が広がって、ジュニア時代のオリジナル曲とは全く異なる曲も増えてきた。けれど、それらが一線を画すことなく、むしろ融合してトラジャの世界観を作りだしていることは、誠に見事としかいいようがない。

ところが、である。デビュー1年も経たないまま、彼らは最大の危機を迎えることとなってしまった。なんせ、事務所が廃業するのだ。不安なのは私たちよりも、所属タレントの方が一層大きなものだっただろうと想像する。

中でもアメリカ留学後の彼らは、アメリカのレコード会社と契約をしてデビューし、アメリカのクリエイターと作品づくりをして、レコーディングや撮影はアメリカで行い、アメリカのイベントに参加するという、まさにアメリカ尽くしの活動だった。

初めから、Travis Japanをどうやって売り出していくか、いろいろと模索しているであろうことは重々承知していた。他方、多くのトラジャ担がそれに対して危惧していたことも、事実としてある。正直いって、海外活動も国内活動も、どちらも中途半端になっていたように見えるからだ。そんな中で、海外活動が一時ほぼ絶望的となったことで、必然的に日本での活動へ大きく向き合うことになったのかもしれない。

昨今の松田元太フィーバーをはじめ、テレビ出演や舞台など他のメンバーも個人仕事も増えてきていた。留学直前までトラジャ担がたしかに感じていた、あの頃の勢いが少し返ってきたように感じられるのだ。

そこで感じたのは、ある種の安心だった。本音を言えば、トラジャ担は寂しかったのだと思う。自分たちを置いてどこかに行ってしまうかもしれない。もう日本に背を向けてしまったように感じるトラジャの活動方針に、心の底から納得していたわけではなかったのだと。
やはり、どうしてもまずは国内で活躍してほしい気持ちがあった。もちろん海外活動の応援はする。むしろ、自信をもって海外活動をするためにも、国内での基盤があって損はないと思っていた。Travis Japanは、いわゆる国民的アイドルを目指すグループではないからだ。

風向きは少し変わった。これからTravis Japanに出会う人に、何を伝えよう。

そう改めて考えていたとき。2024年8月17日に、BSフジで『~EP.6:Flamenco~ Travis Japan × OKI JIN』が放送された。

Travis Japanが表す「人間賛歌」

いつまで見られるかは分かりませんが、一応リンクを貼っておきます。もし未視聴の方がこのnoteを見てくださっていたら、ぜひご覧いただきたい番組です。

念のため、この番組のコンセプトをザッと説明すると、毎回違うテーマで与えられた課題曲に6時間で振り付け、それを一カメ、ノンストップで撮影するいうものである。楽曲提供してくださるアーティストは錚々たるメンバーで、新規のオリジナル曲およびトラジャの曲をアレンジしてくださっているので、毎回ビビり散らかしている。

今回のお題は「フラメンコ」で、コラボレーション相手はフラメンコギタリストの沖 仁さん。なんと番組初の生演奏であった。

もう私の言葉なんか読むより、実際見てもらった方が良さが分かる。未視聴の方はぜひ、ぜひ先にご覧いただきたい。

率直に私が感じたのは、〈Travis Japanらしさ〉への原点回帰だった。代表曲『夢のハリウッド』を彷彿とさせるショーの世界観(最初のステップはもはや夢ハリだ)に、真っ赤なベロアのスリーピース。彼らのベースともいえるこの世界観は、コンサートで存分に披露されている。Travis Japanが、このフラメンコ音楽をモノにするまで、そう時間はかからなかった。沖さんの奏でる情熱的ながらも哀愁的なメロディーは、あまりにもTravis Japanという〈物語〉にマッチしていた。

◇ ◇ ◇

ところで、フラメンコ音楽とは「苦しみの中にある最も人間らしい感情から生まれた、人間賛歌のようなもの」「その時の感情を表現する、刹那的なもの」であると沖仁さんは語る。

その言葉通り、ダンスという表現方法はそもそもが刹那的なものだが、生演奏で踊るというのは特にその側面が強い。そんなパフォーマンスにおいて、夢ハリ(と同じステップ)からスタートし、初めての全編英語詞曲『BIG BANG BOY』で締める構成は、アンダルシアに憧れた彼らが、その憧れとは程遠い数々の困難と苦節を味わい、大きなピンチの中でもがきながらも「俺らイケてね? Travis Japanって最高じゃね?」とありのままの自分たちを讃え、今まさに世界へ旅立たんとする、今のTravis Japanの姿そのものだった。

私がTravis Japanを好きな理由の一つに「メンバー同士でしっかり話し合い、褒め合う関係性」がある。トラジャは事務所の中で、お世辞にも恵まれたグループではない。下積みはかなり長いし、デビュー発表を含めいろんなことのタイミングが悪いと思う。これはもう噓をついてもしょうがないが、トラジャ担として様々なコレジャナイ感を味わい、他グループを羨んだことは一度や二度ではない。

だけど彼らには、最強に心強いメンバーがいる。私は以前、Travis Japanというグループについてこう書いたことがある。

どうかすると一瞬で壊れてしまいそうな、薄い薄いガラスのような繊細なグループ。それを何層にも重ね、強固なガラスの壁を作りあげる。丁寧に磨き、まるで何もないかのように見える高透明度の分厚い壁で囲んで、自分たちを、お互いを守っている。
ガラスの壁の中に7人ぽっちで閉じこもり、お互いに背中を預け合って見えないように後ろで手をつないで、そこに壁なんかないように見えている外へ、笑顔を向けているグループ。
今でも、それが私のTravis Japanの印象である。

Travis Japanは、少年の日の夢を見る https://note.com/sz_931/n/n5128fc86e1ee

もし世界中が敵に回っても、彼らにはメンバーがいる。そんなグループなのだ、Travis Japanは。

彼らは事あるごとにしっかり話し合い、自分たちをこれでもかというほど褒め合う。30歳を目前にした大人たちが、幼いころから一緒に活動するメンバーのことを、ここまで褒めちぎることができるのだろうかと関心する。誰に何と言われようと、彼らはお互い信じあい、自分たちが一番いいと思うものを、作り上げることができる。そこに自信を持っているのだ。良くないこともきちんと言い合い、一切照れることなく「かっけぇな」「すげぇな」「めっちゃいいね」と、しっかり相手の目を見て伝える彼らの姿は、何とも美しい。

だからこそ、BSフジさんの無茶ぶりとも言えるこの企画は毎回大成功の大好評で、6回目でもマンネリ化するどころか進化しつづけている。

そう、Travis Japanの根底にあるものは「人間という生き物がもつ美しさ」だ。

人間はわがまま。人間は自分のことしか考えない。人間は自然を壊す。人間がいなくなれば、地球はたちまち良くなるなどと、有史以来の人間はときに「悪」であると語られてきた。けれど本来、性悪か性善かの二極ではなく、あくまでもグレーな生き物だと個人的には思う。環境や状況によって、何が強く出てくるか変わってくるだけなのだと。

Travis Japanは美しい。私は、彼らのパフォーマンスの真骨頂は、カッコよさではなく美しさにあると思っていて、折に触れて「綺麗だな」とつぶやいている。
それはダンスがシンクロしているとか着地が決まっているとか、分かりやすい部分はもちろん、表情や指先の細かい所作にも、今まで積み上げたもの、これから積み上げていきたいもの、といった、彼らの美学が詰まっている。

そんな彼らのパフォーマンスには、技術的な上手さに加え、その根底にある美しさが表れている。人を信じること。人を思いやること。人を受け入れること。人を喜ばせること。人と一緒に何かを作りあげること。そんな美しさを生み出せるような環境や状況を、彼らは自分たち自身で作り出してきた。

人間には、これほど美しい部分があるということを、Travis Japanは教えてくれるのだ。

これじゃん、トラジャのセールスポイント。この美しさだよ。「ダンスうまいんだよね」「カッコいいんだよね」は、もう常套句のようになっているのだから、「トラジャってね、美しいのよ」と伝えれば、相手は「ほう、美しいときたか」と一旦は食いついてくれるかもしれない。気づけば私は、なかなかまとまりそうにないトラジャの魅力を、荒削りなままたくさん書き出していた。止まらない。トラジャが大好きでたまらない。

とりあえずこの番組を見せよう。パフォーマンスの素晴らしさとともに、彼らのパーソナルな部分も見てもらえる。せっかく今回からTverで配信されることになったのだ、見る見ないの判断は任せるにしろ、友人たちにリンクを送りつけることはできる。「えートラジャってすごいね」と言わせればこっちのもん。見事トップセーラーへの道の第一歩を踏み出すことができるのだ。ここから美しいパフォーマンスの根幹に触れたトークを一気に畳みかければ、この勝負もらったも同然だ。あまりがっつかないように、そう、冷静にゆっくりと。ニコニコと相手の話も聞きながら。間違っても鼻息を荒くすることだけは絶対にするなよ。

あぁ誰か、誰かこの気持ちを聞いてほしい。願わくば、まだTravis Japanの魅力を知らないあなたにも届くようにと。


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