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『義経記』に見る義経奥州逃避行路①

 牛若丸(遮那王)は、鞍馬寺で育てられたが、承安4年(1174年)、鞍馬寺を出奔し、奥州平泉へ落ち、奥州藤原氏に保護された。その途中、3月3日の桃の節句に、東山道・鏡宿(長者屋敷)、もしくは、東海道・宮宿(熱田神宮)で元服し、「源九郎義経」と名乗った。
 その後、源平合戦を経て、文治元年(1185年)、九州落ち(九州幕府の樹立?)を目論むが失敗し、吉野へ入る。その後、吉野を出て京都周辺に潜伏するが、文治元年11月3日、都を落ち、文治2年2月、奥州平泉で奥州藤原氏に保護された。

 源義経の奥州逃避行の経路は『義経記』に載っているが、『義経記』は史書ではなく、軍記物(小説)であるので、明らかな誤りもあれば、載っていない義経伝説の地もあるが、この記事では『義経記』に従い、承安4年(1174年)の奥州逃避行の経路を示す。

1.『義経記』

巻第一
義朝都落の事
常盤都落ちの事
牛若鞍馬入りの事
聖門の事
牛若貴船詣の事
吉次が奥州物語の事
遮那王殿鞍馬出の事
 遮那王は、金売吉次と②粟田口(京都市東山区粟田口にあった「京都七口」の1つ)の十禅師(青蓮院(京都市東山区粟田口三条坊町)の十禅師社)の前で待ち合わせ、承安4年(1174年)2月2日の明け方、①鞍馬(京都市左京区鞍馬本町にある鞍馬寺)を出た。
 遮那王は、金売吉次に「足柄山(神奈川県足柄下郡)を越えるまでは用心しなくてはならない。関東(足柄山以東)は源氏に味方する国である。白川の関(福島県白河市にあった「奥州三関」の1つ)さえ越えれば、藤原領なので安心である」と言った。
 ③松坂(京都府京都市山科区厨子奥花鳥町~日ノ岡夷谷町の松坂峠)を越えて、④四宮河原(京都市山科区四宮)を過ぎ、⑤逢坂関(滋賀県大津市大谷町)越えて⑥大津浜(滋賀県大津市)を過ぎ、⑦瀬田の唐橋(滋賀県大津市瀬田~唐橋町にある「日本三名橋」の1つ)を渡り、2月4日、⑧鏡宿(滋賀県蒲生郡竜王町鏡)に着いた。

巻第二
鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事

 ⑨小野(滋賀県彦根市小野町)の摺針(滋賀県彦根市鳥居本町と米原市番場の間の摺針峠)を越え、⑩番場(滋賀県米原市番場)、⑪醒井宿(滋賀県米原市醒井)を過ぎ、美濃国の⑫青墓宿(岐阜県大垣市青墓町)に着いた。円興寺(岐阜県大垣市青墓町)の兄・源朝長の墓を訪れ、卒塔婆に遮那王自ら梵字を書いた。⑬子安の森(子安神社(岐阜県大垣市赤坂町)の森)を遠望し、⑭杭瀬川(大垣市内を流れる木曽川水系の川)を渡り、⑮墨俣川を明け方に渡り、京を出てから3日にして、遮那王と金売吉次は、⑯尾張国の熱田宮(愛知県名古屋市熱田区神宮にある熱田神宮)に着いた。
遮那王殿元服の事
 遮那王は元服して「源左馬九郎義経」と名を変えて熱田宮を出て、⑰鳴海(愛知県名古屋市緑区鳴海町)の塩干潟、三河国の⑱八橋(愛知県知立市八橋町)を過ぎ、遠江国の⑲浜名橋(静岡県湖西市新居町橋本)を渡った。⑳宇津山(静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と静岡県藤枝市岡部町の境の宇津ノ谷峠)を越え、駿河国の㉑浮島ヶ原(浮島沼。静岡県富士市の須津地区を中心として、浮島地区や沼津市の原地区にわたる湿地)に着いた。
阿野禅師に御対面の事

 源義経は、㉒伊豆国の国府(静岡県三島市大宮町の三嶋大社付近)に着いた。㉓足柄宿(神奈川県足柄下郡箱根町にあった箱根宿)を出て、武蔵国入間郡堀兼村の㉔堀兼の井(埼玉県狭山市堀兼の堀兼神社境内)を見て、在原業平)が眺めた縁の深さを思いながら、下総国の庄、㉕高野に着いた。源義経が宿の主人に、
「ここは何という国か」
と尋ねると、宿の主人は、
「下野国でございます」
と答えました。源義経が、
「ここは、郡か、荘園(私有地)か」
と尋ねると、宿の主人は、
「下野庄でございます」
と答えました。源義経が
「この庄の領主は誰か」
と尋ねると、宿の主人は、
「少納言信西(藤原通憲)の母方の伯父・陵介(源光重)の嫡子・陵兵衛(堀頼重)でございます」
と答えました。
(注)「下総国の庄、高野」を、宿の主人は「下野国下野庄」と言っているが、正しくは「下総国葛飾郡の下河辺庄」であり、高野は千葉県八千代市上/下高野である。
義経陵が館焼き給ふ事
「後に平家にとっての大事となりましょう。この人たちを助けて、日本に置いておくことは、獅子虎を千里の野に放つようなものです。成人すれば、必ずや謀反を起こしましょう。覚えておいてください。もし事を起こすような事がありましたら、私の許を尋ねてください。下総国の下河辺庄という所に居ますので」と言いました。源義経は遙々と奥州へ下るよりも陵(堀頼重)の許へ行こうと思い、金売吉次に「下野国の㉖室の八島(室八嶋大明神。栃木県栃木市惣社町の大神神社)で待て。私(源義経)は人を尋ねてすぐに追いつくから」と言って陵(堀頼重)を訪ねた。金売吉次は不本意であったが、「先立ちします」と奥州に下って行った。(中略)㉗墨田川に沿って馬に任せて進んで行くと、馬の足は早く、2日かかるところを1日で上野国の㉘板鼻(群馬県安中市板鼻)に着いた。
伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事
 伊勢三郎義盛は剛の者で、剛の者にありがちな思い切りのよさがあり、すぐに源義経の供として奥州に下ることに決めた。下野国の室の八島を遠望し、㉙宇都宮大明神(栃木県宇都宮市馬場通りの二荒山神社)を伏して拝み、㉚行方の原(茨城県行方市)に差しかかり、「行方」だけに「実方中将(藤原実方)」の
  みちのくの安達の真弓君にこそ 思ひためたることも語らめ
や、「安達の原」だけに平兼盛の
  陸奥の安達の原の黒塚に 鬼こもれりと聞くはまことか
  みちのくの安達ケ原のしらまゆみ こころつよくも見ゆる君かな
といった「安達の原」(陸奥国安達郡の原。現在の二本松市及び周辺)の歌を思い出して、「安達の野辺の白真弓、押し張り素引きし肩にかけ、馴れぬ程は何恐れん、馴れての後は恐るぞ悔しき」と口ずさみながら、㉛安達の野辺(安積山(福島県郡山市日和田町安積山)の裾野)を通り過ぎ、㉜浅香沼(安積山麓の沼)のアヤメを見て、㉝浅香山(福島県郡山市)を遠望し、㉞信夫の里(福島県信夫郡)の特産品「信夫摺」(忍草の葉を布に摺りつけて染めた布)などの名所や特産品を見ながら、伊達郡(福島県伊達郡)の㉟阿津賀志(福島県伊達郡国見町)の中山峠を越えて、まだ夜明けであるから、「金売吉次は通ったか?」と尋ねながら、「さあ、追いついて話をしよう。阿津賀志山は当・陸奥国の名山だから」と、急いで追いついて見れば、先立ちした金売吉次であった。商人の習性で、金売吉次はあちらこちらを回っていたので、追いついたのである。また、金売吉次は、「今はお供は必要ない。お主の妻が悲しんでいるであろう。事が起きたらお伴すればよかろう」と言って返した。(結局、伊勢義盛がお供したのは、治承4年(1181年)のことである。)
 こうして奥州に下り、㊱武隈の松(現宮城県岩沼市二木)、㊲阿武隈(福島県伊達郡)という名所を過ぎ、㊲宮城野(宮城県仙台市宮城野区)の原、㊳躑躅の岡(宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡)を眺めて、㊴千賀の塩竃(千賀の浦の鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山))に参詣した。㊵あたり松(「安宅の松」との混同)、鹽竈神社の沖の㊶籬島(曲木島)を見て、見仏上人(松島の雄島(御島)に居た高僧)の旧蹟である㊷松島を拝んで、㊸紫大明神(宮城県宮城郡松島町高城明神にある紫神社)で祈誓させ、㊹姉歯の松(宮城県栗原市金成梨崎南沢)を見て、㊺栗原(宮城県栗原市)に着いた。金売吉次を㊻栗原寺(宮城県栗原市栗駒栗原西沢)の別当が住む坊(塔頭)に留め、源義経は、㊼平泉(岩手県西磐井郡平泉町平泉)に向かった。
義経秀衡にはじめて対面の事
義経鬼一法眼が所へ御出の事

巻第三
熊野の別当乱行の事
弁慶生まるる事
弁慶山門を出づる事
書写山炎上の事
弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事
弁慶義経に君臣の契約す事
頼朝謀反の事

巻第四
頼朝義経対面の事
義経平家の討手に上り給ふ事
腰越の申し状の事
土佐坊義経討手に上る事
義経都落の事
住吉大物二箇所合戦の事

巻第五
判官吉野山に入り給ふ事
静吉野山に棄てらるる事
義経吉野山を落ち給ふ事
忠信吉野に留まる事
忠信吉野山の合戦の事
吉野法師判官を追ひかけ奉る事

巻第六
忠信都へ忍び上る事
忠信最期の事
忠信が首鎌倉へ下る事
判官南都へ忍び御出ある事
関東より勧修坊を召さるる事
静鎌倉へ下る事
静若宮八幡宮へ参詣の事

巻第七
判官北国落の事
大津次郎の事
愛発山の事
三の口の関通り給ふ事
平泉寺御見物の事
如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事
直江の津にて笈探されし事
亀割山にて御産の事
判官平泉へ御着きの事

巻第八
継信兄弟御弔の事
秀衡死去の事
秀衡が子供判官殿に謀反の事
鈴木の三郎重家高館へ参る事
衣河合戦の事
判官御自害の事
兼房が最期の事
秀衡が子供御追討の事

2.『義経記』登場地名


①鞍馬(京都市左京区鞍馬本町にある鞍馬寺)
②粟田口の青蓮院(京都市東山区粟田口三条坊町)
③松坂:松坂峠(京都府京都市山科区厨子奥花鳥町~日ノ岡夷谷町)
④四宮河原(京都市山科区四宮)
⑤逢坂関(滋賀県大津市大谷町)
⑥大津浜(滋賀県大津市)
⑦瀬田の唐橋(滋賀県大津市瀬田~唐橋町にある「日本三名橋」の1つ)
⑧鏡宿(滋賀県蒲生郡竜王町鏡)
⑨小野の摺針(滋賀県彦根市の鳥居本宿)
⑩番場(滋賀県米原市番場)
⑪醒井宿(滋賀県米原市醒井)
⑫青墓宿(岐阜県大垣市青墓町)の円興寺(岐阜県大垣市青墓町)
⑬子安の森(子安神社(岐阜県大垣市赤坂町)の森)
⑭杭瀬川(大垣市内を流れる木曽川水系の川)
⑮墨俣川(長良川)
⑯熱田宮(愛知県名古屋市熱田区神宮にある熱田神宮)
⑰鳴海の塩干潟(鳴海潟。愛知県名古屋市緑区鳴海町)
⑱八橋(愛知県知立市八橋町):在原業平が眺めた名所
⑲浜名橋(静岡県湖西市新居町橋本)
⑰鳴海の塩干潟(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
⑱八橋(愛知県知立市八橋町)
⑲浜名橋(静岡県湖西市新居町橋本)
⑳宇津山(静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町の境の宇津ノ谷峠)
㉑浮島ヶ原(浮島沼。静岡県富士市~沼津市にわたる湿地)
㉒伊豆国の国府(静岡県三島市大宮町の三嶋大社付近)
㉓足柄宿(神奈川県足柄下郡箱根町にあった箱根宿)
堀兼の井(埼玉県狭山市堀兼の堀兼神社境内)
㉕高野(千葉県八千代市上/下高野)
室の八島(室八嶋大明神。栃木県栃木市惣社町の大神神社)
㉗墨田川(利根川)
㉘板鼻(群馬県安中市板鼻)
㉙宇都宮大明神(栃木県宇都宮市馬場通りの二荒山神社)
㉚行方の原(茨城県行方市)
㉛安達の野辺(安積山(福島県郡山市日和田町安積山)の裾野)
㉜浅香沼(安積山麓の沼)
㉝浅香山(福島県郡山市日和田町安積山の安積山)
㉞信夫の里(福島県信夫郡)
㉟阿津賀志山(福島県伊達郡国見町。厚樫山とも)
㊱武隈の松(現宮城県岩沼市二木)
㊲阿武隈(福島県伊達郡)
㊲宮城野(宮城県仙台市宮城野区)の原
㊳躑躅の岡(宮城県仙台市宮城野区榴ケ岡)
㊴千賀の塩竃(千賀の浦の鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山))
㊵あたり松(「安宅の松」との混同)
㊶籬島(鹽竈神社の沖。曲木島とも)
㊷松島(松島の雄島(御島))
㊸紫大明神(宮城県宮城郡松島町高城明神にある紫神社)
㊹姉歯の松(宮城県栗原市金成梨崎南沢)
㊺栗原(宮城県栗原市)
㊻栗原寺(宮城県栗原市栗駒栗原西沢)の別当の坊
㊼平泉(岩手県西磐井郡平泉町平泉)

■参考

【参考文献】
・『京から奥州へ 義経伝説をゆく』2004

【『義経記』原文】
・Wikisource『義経記』
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E8%A8%98
義経デジタル文庫『義経記』
http://www.st.rim.or.jp/~success/gikeiki_00.html
Santa Lab's Blog『義経記』
https://santalab.exblog.jp/19256929/

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