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『熱田神宮異聞』ならずの梅

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    ──ひんやれ、宮の熱田のならずの梅は、
       やれよいと、やれよいと花はさけども実はならん(俗謡)

 「実がならない」は「子が出来ない」に通じるとして、「不実梅(ならずの梅)」は、「不吉だ。切ってしまおう」と思うのが普通だと思うのですが・・・珍しいからか伐られないの?

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■岡田啓&野口道直『小治田之真清水』(巻2)「熱田部」
不実梅古木の事

 もとの木はとく枯れて、今のは植づきの若樹なり。その旧樹は紅梅にて、木の模様も今のとは甚だたがへり。『正事記』に「ならびの梅は八重くれないの花さく」云々申す見え、『世説雑話』には「熱田の神木の事 当社の南門を入りて右の方に高さ5尺余りの梅木あり。木枝とも松なり。年々こずあへ出ず。是を松にして皮あり。此のずあへに梅の花咲く。しかれども、実はのらず。是の奇代の木なり」としるせり。今の木は花も白く、木皮も松の如くあらびたるにはあらず。古老の人のはなしに「むかし見し樹は、みきも枝も赤松の如く、普通の梅とは、少しかはりたるやうに覚ゆ。葉はことごとく梅葉にて、松葉はさらになかりし」といへり。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1240756/13

 「実がならない」と言われたら「なぜ?」と聞きたくなるのが人情で、「不実梅(ならずの梅)」は、「・・・という理由で花は咲いても実がならない」という説話とセットのはずですが・・・由緒があるので伐られないと思うのですが、熱田神宮の不実梅については、説話はない?
(たとえば、善福寺(愛知県豊川市平井町水戸田)の「ならずの梅」には「蹴鞠の儀が催された時、菟上足尼が蹴った鞠が梅の木に当たって、実が全て地に落ちてしまった。そして菟上足尼は亡くなり、それ以後、その梅の木には花は咲くが実はならなくなった」って説明があります。)


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