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第2回の再放送を観た。

『鎌倉殿の13人』(第2回)の再放送を観た。

視聴率は2.6%減とのこと。

<視聴率の変化>
                  第1回 第2回
2022年 『鎌倉殿の13人』  17.3%→14.7%(2.6%減) 脚本:三谷幸喜
2021年 『青天を衝け』   20.0%→16.9%(3.1%減)
2020年 『麒麟がくる』   19.1%→17.9%(1.2%減)
2019年 『いだてん』    15.5%→12.0%(3.5%減)
2018年 『西郷どん』    15.4%→15.4%(±0)
2017年 『おんな城主 直虎』16.9%→15.5%(1.4%減)
2016年 『真田丸』     19.9%→20.1%(0.2%増) 脚本:三谷幸喜

大河ドラマに限らず、連続ドラマの視聴率は回をおうごとに下がるものなので、第1回は20%を超えるのが理想ですが・・・。

「2020年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』」
と発表された時、世間の反応は、
「主人公は13人? 北条義時?」
そして、歴史マニアが
「13人の合議制」
と答え、「13人の合議制」のメンバーを検索したら、北条時政しか知らなくて・・・戦国時代なら知ってる武将は複数いるのに・・・。Aという知らない登場人物が出てくるということは、今後、Aという名を聞いた時に、『鎌倉殿の13人』でのA役の俳優さんの顔が浮かぶ可能性が高い(第一印象は書き換えられない)。だから、俳優さんには、
「『Aといえば俺』って言わせてやる」
くらいの気概を持って演じていただきたい。もちろん、熱演によって、有名な源頼朝であっても、「源頼朝といえば中井貴一」から、「源頼朝といえば大泉洋」に変わる可能性もある。

第1回を観た人たちのSNSでの感想は、
「登場人物が多すぎる。しかも、知らない人ばかり」
であった。

━━顔見世の要素もあったのであろう。

 第1回では、「13人の合議制」のメンバー・和田義盛が登場した。源頼朝を警固して欲しいと北条宗時に頼まれたから来たというが、すぐに追い返された。相模国三浦郡和田(神奈川県三浦市初声町和田)からわざわざ来たのに追い返された。それで、安達盛長が「自分以外にも警固の兵が欲しい」と北条氏に頼むと、お笑い枠(大河ドラマには、お笑い枠、歌舞伎枠、ご当地俳優枠がある)とはいえ、汚い工藤祐経がつけられた。(源頼朝の側近になったんだから、お風呂に入って、着物も新調しろよ。北条時政に京都土産を2つももらったのだから。)

第2回では、北条義時&源頼朝は、伊豆国内の伊豆山神社か三嶋大社に逃げればいいのに、駿河国の富士山麓まで逃げて、狩りをしていた相模国鎌倉郡山内荘の山内首藤経俊(山内荘を領した首藤氏の経俊)に逢っている。彼も顔見世であろう。普通なら、
「おっ、すまぬ、すまぬ。獣だと以て射てしまった。お怪我はないか?」
と言うべきところを、
「佐殿?」
と言っている。伊豆国に軟禁されている佐殿が、女装して駿河国にいるわけがないので、いきなり「佐殿?」とは言わないだろう。(その前に弓を射た事を謝れ!「石橋山の戦い」の伏線か?)
 ちなみに、『鎌倉殿の13人』の源頼朝は、いつも読経しているが、伝承では、いつも写経しており、毎月18日の観音縁日のみ、京都の清水寺からいただいた正観音像に祈りを捧げていた。また、狩りが大好きで、近くの豪族たちと鹿狩りを楽しんでいたという。
 ちなみのちなみに、山内首藤経俊は、源頼朝の乳母(人数不明。確かなのは摩々尼、寒河尼、比企尼、山内尼の4人)・山内尼の子である。乳母は、比企尼にしろ、山内尼にしろ、「絶対頼朝応援」であるが、乳母の子はそうではないらしい。山内首藤経俊は、挙兵(「山木館攻め」)の前に、比企尼が源頼朝のもとへ派遣した安達盛長が応援要請に行ったら、双六をやっていて、「源頼朝が平清盛にはむかうことは、富士山と背比べ、もしくは、鼠が猫を狩るような暴挙だ」(私なら「蟷螂が斧を以て隆車に向かう」「鼠が猫の首に鈴をつける(『イソップ寓話集』)」と言うかな)と嘲笑したという。山内首藤経俊の弁護すれば、三井寺にいた弟・刑部房俊秀が、源頼朝の挙兵に先立って以仁王の兵に加わり、南都に落ち延びる道中で討死しているので、無力さを痛感していたのであろう。とはいえ、山内首藤経俊は、「山木館攻め」に参陣しない(和田義盛も参陣しなかった)ばかりか、続く「石橋山の戦い」では、源頼朝に向けて矢を放った。

    ┌山内刑部丞義通【山内】━滝口刑部丞俊通【滝口】┬滝口三郎経俊
首藤助道┴首藤親清【首藤】…               ├滝口四郎俊綱
                             └刑部房俊秀

 源頼朝の乳母・比企尼の子(実は甥。後に養子)で、「13人の合議制」のメンバー・比企能員も顔見世であろう。源頼朝と八重の話し合いは、伊豆山神社か、三嶋大社で十分で、武蔵国比企郡(埼玉県比企郡~東松山市)まで行く必要は無い。比企能員の横にいた女性は、比企掃部允(既に死亡?)と比企尼の長女・丹後内侍(安達盛長の妻)であろうか?

 さて、第1回と第2回の内容は、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には載っていない。しかし、第3回~最終回までは載っている。脚本家・三谷幸喜氏は、『吾妻鏡』を読んで、史実を取り入れていると言うので、私も文庫本(漫画よりまし?)の『吾妻鏡』を読みたいと思う。

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