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渋谷金王丸

1.渋谷城(現・金王八幡宮)

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今日は漫画デー(笑)。『信長を殺した男』に続けて『東京城址女子高生』「渋谷城」を読む。

 河崎基家─渋谷重家┬金王丸(1141-1185?)
            └重国─高重(?-1213)

渋谷城主・重家には子が無く、夫婦で渋谷八幡宮に祈願を続けていると、妻の胎内に金剛夜叉明王が宿る霊夢をみて男子を授かりました。そこで、剛夜叉明にちなみ、「金王丸」と名付けたとされています。その後、渋谷八幡宮は、金王丸の名声により、金王八幡宮(東京都渋谷区渋谷3丁目)と呼ばれました。
 伝承では、寛治6年(1092年)に河崎基家が渋谷城内の一角に、石清水八幡宮から八幡神を勧請して鎮守社・渋谷八幡宮を創建したとしますが、『金王八幡神社略記』には、渋谷重国の次男・高重が、弘法大師が宇佐八幡宮に参篭の折「我東国に跡を垂れ、国家の泰平を守らんとて、いまだ由縁来らず、暫く鞍馬寺に納べし」との御神託により鞍馬寺に納められた八幡像を安置したのが金王八幡宮の創始とあり、これだと渋谷金王丸が生まれた時には金王八幡宮はないことになります。

★金王八幡宮公式サイト
https://www.konno-hachimangu.jp/

《渋谷金王丸常光の正体(諸説あり)》
・「渋谷重家」説
・「渋谷重家の長男・渋谷重国」説
・「渋谷重家の長男(渋谷重国の兄)」説(『金王八幡宮社記』)
・「渋谷重家の次男(渋谷重国の弟)」説
・「渋谷重国の子・渋谷高重」説(神奈川県綾瀬市の伝承)
・「平重久の子で、渋谷庄司重曲の弟」説(静岡県浜松市の伝承)
・「架空の人物」説

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