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第6回「続・瀬名奪還作戦」(予習)

1.瀬名奪還作戦(従来説)

 「桶狭間の戦い」後、徳川家康は、今川氏から独立すると、今川方・鵜殿長照(演:野間口徹)の上ノ郷城(西郷。現・愛知県蒲郡市)を攻撃し、鵜殿長照の2人の息子(鵜殿氏長(演:寄川歌太)&鵜殿氏次(演:石田星空))と駿府で人質となっていた妻・瀬名姫(演:有村架純)、息子・竹千代(演:松井稜樹)、娘・亀姫の3人と交換した。
 2:3の交換は不公平だとされたが、関口氏純(演:渡部篤郎)&巴(演:真矢ミキ)夫妻が自害して訴えたので、交換が実施された。

一、同二月、家康と改名ある。駿河と手ぎれなされ候故也。
 同年三月、三河国西郡の城に、鵜殿長助、籠り候。岡崎衆・松平左近、しきりに攻む。後は付城を致し、兵糧をつめ申し候間、扱ひに致し、城を渡し、鵜殿罷り除き候処を、松平左近、鵜殿子共二人生捕に致し、岡崎に進上申し候。此の鵜殿、比類なき忠臣故、駿河衆迷惑致し、其の比、家康の御前、御子・竹千代殿、駿府に入質に御座候。已に生害に及ばんとする所に関口刑部殿は竹千代殿には祖父にて御座候。是は義元の妹婿なれば、色々御侘言成され、今にながらへ御座候を、岡崎衆・石川伯耆守参り、色々なげき申し候て、関口殿を頼み、証人に致し、和談に仕り、鵜殿が二人の子と竹千代殿と取り替へ候て岡崎へ返し入奉る。是は御元服の後、三郎信康と申しける若殿の御事也。
 此の後、猶も御手ぎれ成され、駿河と御不通の由、氏真、大に怒り給ひ、御しゅうと・関口刑部殿、切腹申し付けらるる。是は「氏真の伯母むこなれども、家康の御しゅうと成り」とて此の如し。彼の娘・家康の御前は、三河へ御座候て、つき山と申す所に御座候を、是をつき山殿と申し奉る也。

『松平記』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1885125/1/30

2.瀬名奪還作戦(新説)

 「桶狭間の戦い」後、三河国の治安維持のため、今川氏真(演:溝端淳平)は徳川家康(演:松本潤)を岡崎城に留め置き、妻・瀬名姫と娘・亀姫を岡崎へ送ったが、竹千代(後の徳川信康)は駿府に留まっていた。
 徳川家康は、今川氏から独立すると、今川方・鵜殿長照の上ノ郷城を攻撃し、鵜殿長照を甲賀衆・伴与七郎資定(演:新田健太)が討ち取り、鵜殿長照の2人の息子(鵜殿氏長&鵜殿氏次)は生捕りして人質となっていた竹千代と交換した。

味方また今川方西郡の城をせめて鵜殿藤太郎長照を生どる。長照は今川氏真近きゆかりなれば、氏真これを愁る事甚しき様なりと聞て、石川伯耆守数正謀を設け、かの地にまします若君と長照兄弟をとりかへて、若君をともなひ岡崎にかへりしかば、人みな数正が今度のはからひゆゝしきを感じけり。

『徳川実紀』「東照宮御実紀」

漸く成人の間、義元(氏親遺跡)の一族、関口刑部少輔女を以って、これを嫁し給ふ。この腹に男女の息、これ有り。義元、尾三境に於いて討死の後、家康公、岡崎え移らしめ給ふ。時に妻女、息女は三川岡崎え移らるゝ。一男(これを竹千代主と云ふ。後に三郎信康と号す)は駿府に人質として居住なり。さて、尾州信長と入魂有り、駿府え敵対し給ふ。その後、三川西の郡鵜殿城を攻め落とし、城主子供に、竹千代主を替へられ、岡崎え引き取り給ふ。

『当代記』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1912983/1/9

★人質交換の場所
・説①:駿府今川屋敷(静岡県静岡市):通説
・説②:遠州掛塚湊(静岡県磐田市):異説
・説③:三州吉田湊(愛知県豊橋市):『どうする家康』では下地川

★以後のこと
・上ノ郷城は、久松俊勝の居城となった。
・鵜殿氏長&鵜殿氏次は二俣城に配属された。

★【第9弾】出演者「家康をめぐる人たち」

久松源三郎勝俊(「久松三兄弟」の次男・松平勝俊):長尾謙社
奥平信昌(長篠城城主。亀姫の夫):白洲迅
鳥居強右衛門(「長篠の戦い」のヒーロー):岡崎体育
大岡弥四郎(徳川信康の守役。武田氏と組みクーデター):毎熊克哉
阿月(浅井家に嫁いだお市の侍女。浅井長政の寝返りを密告):伊東蒼

★今後の『どうする家康』
・第7回「わしの家」
・第8回「三河一揆をどうする」
・第9回「守るべきもの」
・第10回「側室をどうする」
・第11回「信玄との密約」
・第12回「氏真」



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