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Recoの君語りー『光る君へ』(第9回)「遠くの国」ー

 主人公は紫式部。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は、藤原道長への思い、そして、秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。
 変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。(NHK)


遠くの国=都の外の海が見える国
遠くの国=黄泉国(地獄)
遠くの国=藤原為時の漢詩の「遐方」


 今回、義賊である散楽一座は、捕まってしまった。そして、藤原道長が従者の手前、逃がせず、検非違使に引き渡したため、結果的に殺されました。

 殺された理由は、藤原道長が「手荒なまねはするな」とお金を渡したので、
 手荒なまねはしない=身体刑はしない
          =島流ししかない
そして「1人でも島流し(A国まで連れて行くこと)は大変なのに、7人も・・・やってられない」と、こっそりと鳥辺野で殺害したということのようです。藤原道長が何もしなければ、鞭打ち30回ですみ、散楽一座は京都を去ったことでしょう。
 犯罪者に聞くと、「ブイブイ言わせてる時は逮捕されないで、次でやめよう」と弱気になった時に潮目が変わって逮捕されるようです。試合についても、強気の時は連勝出来ますが、「そろそろ負けるかな」と思うと負けます。強気が大事で、引退は潮時を見る。直秀にしたら、藤原道長に矢で射られた時が潮時で、あの時に引退すべきでした。

 死骸を放置したのは(木材は高価なので)鳥葬にしたためです。(貴族は火葬です。ちなみに藤原道長の遺体は、鳥辺野で火葬され、墓(遺骨の埋葬場所)は不明ですが、「宇治陵」(京都府宇治市木幡檜尾)の「宇治陵32号墳」だと考えられています。)

【家系図】

【紫式部の家族(ドラマの設定)】

 前室・藤原為信の娘:ちやは。紫式部が9歳?の時に殺害される。
   ┣長女:ドラマには登場しない。
   ┣次女:まひろ。紫式部(970 -?):このドラマのヒロイン。
   ┣長男:太郎。藤原惟規(971? -1011):越後国で死去。享年41。
 藤原為時(越前守→越後守)


【藤原氏(北家)】

藤原忠平┳実頼━頼忠遵子(円融天皇中宮)
    ┃     ┗
公任
    ┗師輔┳伊尹━懐子━花山天皇(第65代)
       ┣兼通
       ┣安子┳冷泉天皇(第63代)
       ┃  ┗円融天皇(第64代)
       ┃藤原中正の娘(ドラマでは藤原時子):正室
       ┃ ┣長男・道隆(953-995)━定子(一条天皇中宮)
       ┃ ┣長女・超子(954?-982)━三条天皇(第67代)
       ┃ ┣三男・道兼(961-995)
       ┃ ┣三女・詮子(円融天皇女御)━一条天皇(第66代)    
       ┃ ┣五男:藤原道長(966-1028)
       ┣兼家
       ┃ ┣次男・藤原道綱(955-1020)
       ┃藤原倫寧の娘(ドラマでは藤原寧子):『蜻蛉日記』
       ┗為光┳斉信
          ┣長女(藤原義懐室)
          ┗忯子(花山天皇女御)

■藤原兼家の子(六男四女=10人)

長男:藤原道隆(953-995)    生母は正室・藤原時子
次男:藤原道綱(955-1020)     生母は藤原倫寧の娘
三男:藤原道兼(961-995)    生母は正室・藤原時子
四男:藤原道義(生没年不詳)  生母は藤原忠幹の娘
五男:藤原道長(966-1028)  生母は正室・藤原時子
六男:藤原兼俊(生没年不詳)    生母不明。僧・円林。

長女:藤原超子(954?-982)  生母は正室・藤原時子
次女:藤原詮子(962-1002)  生母は正室・藤原時子
三女:藤原?(生没年不詳)   藤原倫寧の娘の養女※
四女:藤原綏子(974-1004)  生母は藤原国章の娘

※三女:藤原兼家と源兼忠の娘との子。藤原倫寧の娘が引き取って養女としたと『蜻蛉日記』にある。


■藤原為時

1.漢詩

讚德部
(116)和高禮部再夢唐故白大保之作  中書王【具平親王】
 古今詞客得名多
 白氏拔群足詠歌
 思任天然沉極底
 心將造化動同波
 中華變雅人相慣
 季葉琇風體未訛
(我朝詞人、才子以白氏文集為規摹。故承和以來、言詩者皆不失體裁矣。)
 再入君夢應決理
 當時風月必誰過

(117) 同前            藤為時【藤原為時】
 兩地聞名追慕多
 遺文何日不謳歌
 繫情長望遐方月
 入夢終踰萬里波
 露膽雖隨天曉隔
 風姿未與影圖訛
(我朝仰慕居易風跡者、多圖尋風、故云)
 仲尼昔夢周公久
 聖智莫言時代過

(118)夢中同謁白太保元相公 一首  高積善【高階積善】
 二公身化早為塵
 家集相傳屬後人
 清句既看同是玉
 高情不識又何神
 風聞在昔紅顏日
 鶴望如今白首辰
 容鬢宛然俱入夢
 漢都月下水煙濱

 高情云云:白太保傳云,大保者是文曲星神、而相公未見其所傳矣。
 風聞云云:余少年時、先人對余以常談元白之故事。

『本朝麗藻』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1019711/1/130

 和高禮部の再び唐の故・白大保を夢見ての作に和す
                             藤原為時

 兩地聞名追慕多 両地、名を聞きて追慕すること多く、
 遺文何日不謳歌 遺文何れの日か謳歌せざらむ。
 繫情長望遐方月 情を繫ぎ、遐方の月を長望し、
 入夢終踰萬里波 夢に入りて、終に万里の波を踰ゆ。
 露膽雖隨天曉隔 露膽、天曉に隨ひ、隔つると雖も、
 風姿未與影圖訛 風姿、未だ影図と訛(あやま)たず。
(我朝の居易の風跡を仰慕する者は、多く図を屏風に尋ぬるが故に云ふ。)
 仲尼昔夢周公久 仲尼、昔、周公を夢みること久しく、
 聖智莫言時代過 聖智、言ふ莫かれ、時代、過ぎたりと。

和高礼部(高階積善)が、再び唐の白大保(白居易)の夢をみて作詩した漢詩に同調して作詩した漢詩 
中国でも、日本でも、白居易を慕う者が多く、
彼が残した漢詩は、どの時代でも謳歌されている。
彼のことを思い、心を繋いで、遠い国(中国)でも見える同じ月を遠望し、
夢の中へ入って、終に万里の波(中国と日本の間の海)を越えた。
繋がれた心が、夜明けとともに(夢から覚めて)隔てられても、
彼(白居易)の姿は、今も絵で正確に見ることが出来る。
(注:日本では、白居易の風跡を慕う者は、多くの者が、屏風で彼の姿を見ているのでこう詠んだ。)
仲尼(孔子)は昔、周公の素晴らしさに憧れ、長い間、夢にみてきた。
聖智(知恵者=孔子)よ、「良き時代は過ぎ去った」と言うなよ。

 藤原為時の家にも、白居易を描いた屏風がありそう。

 最後の2句が白居易の話から孔子の話に飛んで違和感があるが、七言律詩の日本での特別ルールが「最後の2句で言いたいこと(意見や要望)を言う」であるから仕方がない。ドラマでは、この2行を花山天皇に向けて詠んでいた。つまり、最後の句の「聖智」は孔子ではなく、花山天皇であり、「聡明叡智な花山天皇よ、「朕の時代は過ぎた」とお言いなさるな」の意になろう。愛する藤原忯子を失い、政治を放棄している花山天皇に「あなたの時代はまだ終わっていませんよ(孔子のように「周公の時代はよかった」と過去を振り返っていてはなりません。藤原忯子のことは忘れ、元気を出して、周公のような善政を行いなさい)」と励ました漢詩になろう。

※月が心をリンクさせる装置になっていることが面白い。
※なお「遐方」とは、今回のサブタイトルの「遠い国」という意味である。

 古代では、夢に妻や恋人が出てくるのは、妻や恋人が自分の事を思ってくれてると考えたそうですが、白居易が高階積善のことを思ってくれているわけではないのに、夢で中国へ行って白居易に会うとは、まるで「渡唐天神」(天神=菅原道真が夢の中で空を飛んで唐へ行き、無準和尚に会って禅をマスターしたという話)のような話ですね。

2.藤原惟規への餞別の言葉(四字熟語)

藤原惟規は大学へ。

一念通天(いちねんつうてん/一念天に通ず):どんなことでも、ひたすら信じて念じ続ければ、必ず天に通じて、成し遂げられるということ。

率先垂範(そっせんすいはん):人の先頭に立って物事を行い、模範を示すこと。

温故知新(おんこちしん/故(ふる)きを温(たずね)て新(あたら)しきを知る/故(ふる)きを温(あたため)て新(あたら)しきを知る):前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し、自分のものとすること。

独学孤陋(どくがくころう):師や同学の士がいず、一人で学ぶと、見識が狭くなり、他人の意見を聞こうとしなくなるということ。
 人が成長するのに必要なのは、良き師と、良き友(共同研究者、あるいはライバル)でしょうね。
 大学へ行く理由の1つは「良き友を探すため」でしょうね。

 私、記事は独学で書いています。後日、読み返して単純なミスに気づいたり、読者様に「どうして・・・なの?」と素朴な疑問を投げかけられて重要なことに気づいたりします。本当は、記事を書いた後で、誰かに意見を聞いてから公表した方がいい記事になるんだけどな。(仕事の場合は。優秀な校閲者が指摘してくれるけどね。)



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