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束鮒巷轍士『誹諧白眼(当流白眼)』(原文&現代語訳)

一見、「誹人・束鮒巷轍士が書いた由緒」というよりも、「束鮒巷轍士が鳳来寺に行ったときに掲示されていた由緒書を写した」って感じに見えるけど、どうなんだろう?
また、作者不詳、成立年不詳の『鳳来寺旧記』は、鳳来寺藤本院全堂から話を聞いて束鮒巷轍士が書いた本だという。

■原文

煙厳山鳳来寺勝岳院(文武天皇御願之場)堂社二十余宇

(天台真言坊舎二十有余 知行千三百五十石)
一、開山利修仙人は、山城国端正郡二葉の里高賀茂之老翁間賀之助都岐麻呂と云人の子也。婦人瑞夢金人来てロに入と見て懐胎。欽明天皇御宇庚寅年四月七日午刻出胎す。利修童子と名く。成長而後、忽然として此山に来る。有時夢中に五台山の長秋仙人来て仙術長生の法を示す云云。利修三百九歳にして入定す。此所雖有池水凡夫の非所行。有縁の者、時々鈴音を聞と云云。煙厳山は、仙人入岩窟護摩を修し玉ふ煙巌に付て号煙巌山。鳳来寺は、斉明天皇の比、仙人百千国に渡玉ふ。帰朝の時、乗鳳来玉ふ。又、文武帝有御悩、勅使草鹿砥公宣卿を以て有召仙人、仙人乗鳳、参内し玉ふ故、佳名賜鳳来寺云云。
一、仏閣草創文武天皇御宇大宝癸卯年。(元禄五年九百九十一年になる。)
一、本尊は一刀三礼薬師如来。利修仙人の英作也。
一、当寺の額、聖武皇帝后光明皇后御筆。二王門、今の額是也。
  勅使公宣卿之詠歌
   霧や海山のすがたは島に似て 浪かときけば松風の音

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