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西郷谷紀行 ④街道巡り

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 西郷谷は三方を山で囲まれ、西に開口部がある谷である。西方以外から谷から出ようとすれば、峠道を通っての山越え(峠越え)となる。

:「遠州街道」:中山峠を越えて平山へ。
西開口部:伊那街道へ、豊川へ。
:「西郷道」:稗林峠を越えて嵩山宿へ。
:「三ヶ日道」:火灯峠を越えて荒沢不動滝へ。

1.遠州街道「中山峠越」

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 豊川稲荷と奥山半僧坊を結ぶ国境の信仰の道「豊川道」「半僧坊道」のうち、平野~中山峠~平山を「遠州街道」と呼んでいます。
 「遠州街道」のうち、中山~中山峠を「中山自然歩道」(全長1.6km)と呼び、中山峠~平山を「平山登山道」と呼んでいます。また、「中山自然歩道」の車道部分が「大沢林道」です。

然而(しかるに)、此(こ)の山は、東は半僧坊(はんそうぼう)に往来する道路、西は豊川(とよかわ)に往来する道路なり。(『中山村誌』)

 西郷谷の西の嶺を「大沢山(南嶺&北嶺)」といい、山の東麓の平山の道は、北上して風越峠を経て奥山半僧坊に至る「半僧坊道」、山の西麓の中山(西郷谷)の道は、西行して豊川を「当古の渡し」で渡って豊川稲荷に至る「豊川道」になります。

■『萩平村誌』「遠州街道」
遠州街道 里道
等級1等。長さ1町17間余。幅6尺。 ※1町17間=140m 6尺=1.8m
形状:本道は平坦にして村の南位にあり。当郡平野村より本村字城脇に入り、僅かに走って県道を貫き、東行して三ヶ日街に会合す。

(注)「長さ1町17間余」というのは、「全長数kmある遠州街道の内、萩平村を通る部分の長さが1町17間余」ということ。

 豊橋市内の最高地は、「本坂越」の「坊ヶ峰」(標高446m)だと思っている人が多いようですが、最高点は、「坊ヶ峰」の北の「平尾山」(標高464m)になります。そして、この平尾山と大沢山の間の鞍部が「中山峠」(標高392.26m)です。

※「本坂」は「穂の坂」、「坊ヶ峰」は「穂が峰」だという。(「穂」は、後の「宝飯」。)

 ハイキングのメッカは、「湖西連峰」(静岡県民の呼び名。愛知県民は「弓張山地」と呼ぶ)で、その北端は「平尾山」なのですが、北端を「坊ヶ峰」だと思ってる方が多く、「坊ヶ峰」以北のハイキングコースは、ほとんど人が通らないので、荒れて、いや、自然に戻りつつあります。「竹を折り、陳葉を掃ひ、腐木を排て」進むとまではなっていませんが、「夏草に覆われた道を探し、蜘蛛の巣を払いながら」進みます。(平山登山道は、倒木が道を塞いでいる箇所も多いです。「ハイキング」というより、鍾乳洞探検も含めて「冒険」!)

◆湖西連峰ハイキングコース
http://kosaicity.com/renpou.html

 大沢山については、『中山村誌』で、以下のように、異常と言って良い程、熱く語られています。

■『中山村誌』
名勝 
所在:字大沢山
雑項:村の東方に在りて、高峻なる山峰なり。緑樹、陰鬱として、澗渓〔渓澗?〕、叡谷(えいこく)多く、分崩裂絶、蒿藜(こうれい。よもぎとあかざ)棒莽〔榛莽?〕ありて、不測の処、往々ありて、其の上は、豊山、聳然(しょうぜん)として、而して特立し、下は、則ち、幽谷、窈然(ようぜん)として、而して深く蔵る中に清泉あり。滃然として、而して仰ぎ出す。俯仰顧て相楽しむ。而して遊を記する者、甚だ衆し。所謂「前洞(まえぼら)」なり。山より以て上る数町、岩石の間に大なる穴有り。窈然、之に入ること甚だ難し。其の深きを問えば、則ち、其の遊を好むもの、窮むる能はざるなり。之を「後洞(うしろぼら)」といふ。余、数輩と以て入る。之に入る。愈(いよいよ)深ふして、其の進むこと愈難し。而して、其の見、愈奇なり。
 然而、此の山は、東は半僧坊に往来する道路、西は豊川に往来する道路なり。
 而して北嶺は樅(もみ)を生じ、南嶺は杉を生ず。而して此の山は古昔より官林たるを以て、方今(ほうこん)、土人、樵夫の入る無きを以て、樹木、宏大なる百囲千尺加ふるに、斤斧(きんぷ)を以てすべからざるものあり。
 渓水は流れて滝となり、川となり、巨石を底となし、両涯に達す。床の如く、堂の如く、筵席を陳るが如く閫襖を限るが如し。水、其の上に平布し流れ、叉(かんざし)を織るが如く、琴を操るが如し。揚跣して、而して行き、竹を折り、陳葉を掃ひ、腐木を排て、胡床18、9を羅て、之れに居る可し。交絡の流れ、触激の音、皆な、床下に在り。翠羽の木、龍鱗の石、均く其の上を蔭ふ。
 山上に至れば風景、絶佳にして四方遥望することを得。
 南方北嶺を距ること10有余町にして大岩あり。俗人、之を呼で「雷岩」と云ふ。此れ、甚だ高峻にして、高さ、殆ど大沢山と均し。此の岩は、郡中に於いて尤も著名にして其の大なること、他に比すべき物無し。此の間には「水岩石」と云ふ奇石、及び「立岩」と云ふ奇石あり。或る人の説に曰く、「是は弁慶と云ふ人、之れを提掣したれども、甚だ軽きを以て、亦、其の上に1大岩を載すと云ふを以て、又、之を名づけて「載岩」とも称す」。然れども、未だ以て是れを詳らかにする人あるを聞かず。
 山麓に灰石あり。里人、之を取りて、製造し、以て他(後略)

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【大意】 大沢山は、中山村の東にある険しい高山で、北嶺と南嶺がある。 「前洞」と呼ばれる鍾乳洞(上の写真。長さ30m)の奥には泉があり、水が流れ出している。この「前洞」については多くの人が記録しているが、その上の「後洞」については、私も数人で行ったが、探検は難しく、どこまで続いているか極めた者はまだいない(注:現在は、長さ130mと判明)。 山は国有林で入る者が少なく、原生林が広がっている。(北嶺には樅、南嶺には杉が多い。)

■大沢国有林
https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/kanri/bunsyu/pdf/27-45aichi1282ni1.pdf
■樅の木
https://www.city.toyohashi.lg.jp/2468.htm

 湖西連峰の山中には巨石が散在し、特に1km以上南にある「雷岩」が最も有名である。「雷岩」へ行く途中にある「弁慶の載岩」も有名である。
 また、山麓では、セメントの原料である「灰石」(石灰岩。セメントに水、砂、砕石、砂利を混ぜたのがコンクリート)の採石が行われている。

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