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「駿州往還」(『静岡のトリセツ』)と 治承4年(1180年)の合戦の道

駿府(駿河国の国府)から甲府(甲斐国の国府)へ行くにはどう行く?

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                   ※『静岡のトリセツ』(昭文社)

駿府から甲府へは、今であれば鉄道(JR)で、
  駿府(JR東海道本線・JR静岡駅)~JR富士駅JR甲府駅(JR身延線)
であろうが、江戸時代であれば、
  駿府(東海道府中宿)~興津(東海道興津宿)~身延山甲府
と歩く。この「身延街道」(駿州往還)は、興津や甲府と日蓮宗総本山身延山久遠寺を結ぶ「信仰の道」である。
https://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/michi/history02.html
  

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                 ※『東海道と脇街道』(静岡新聞社)

鎌倉時代はどうだったであろうか?

 甲府と駿河国の富士川や狩野川の河口を直線で結び、陸上交通と水上交通を結びたいが、それは不可能である。なぜなら、
 ──富士山があるから
である。
 したがって、街道「駿甲往還」は、駿河国から富士山の東を迂回し郡内へ行くか、西を迂回して国中へ行くかになり、甲斐国の古道「甲斐九筋(かいくすじ)」のうちの
・東往還(甲州道中、奈良官道、鎌倉街道):三島→佐野→藍沢原→籠坂峠…
・中道往還(甲州街道、春田道):春田→伊堤→根原→古関→左右口→甲府
・西往還(駿州往還、身延街道):興津/由比/岩渕→身延山→甲府
の3筋が基本で、中道往還の脇街道として、すぐ東に甲府から伊堤(井出、富士野)~神野に通じる「若彦道」があった。

※「甲斐九筋(かいくすじ)」

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