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持統天皇伊勢行幸/持統上皇三河御幸

1.持統天皇の伊勢行幸


(1)柿本人麻呂の「伊勢行幸時留京歌

■『万葉集』「幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌」
鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 𡢳嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香(巻1-40)
釼著 手節乃埼二 今<日>毛可母 大宮人之 玉藻苅良<武>(巻1-41)
潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎(巻1-42)
吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六(巻1-43)
・・・
舎人娘子従駕作歌
<大>夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之(巻1-61)

【書き下し文】
伊勢國に幸(いで)ます時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂の作る歌
嗚呼見の浦に舟乗りすらむ乙女らが玉裳の裾に潮満つらむか
釧(くしろ)着く答志(たふし)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
・・・
舎人娘子、従駕にして作れる歌
大丈夫(ますらお)のさつ矢手挟み立ち向ひ射る的方は見るにさやけし

【大意】
持統天皇が伊勢国に行幸した時に詠まれた和歌。
・ 「あみ(正しくは「あご」)の浦(うら)で「舟乗り」(舟遊び)しようとする𡢳(未婚の女性)や嬬(既婚の女性)らの美しい裳の裾が濡れている。潮が満ちてきたのでしょうか(飛鳥京に居るので、想像だが)。
・釧(くしろ。腕輪。「手」を導く)を腕にはめ、「手節の岬」(答志島)で、今日も大宮人は海藻を刈っているだろうか(飛鳥京に居るので、想像だが)。
・伊良湖水道の潮の流れは早く、波の音が大きく響く「伊良湖の島」(答志島?)の周囲を漕ぐ舟に妻も乗っているのだろうか。潮が荒い島の周囲を(飛鳥京に居るので、想像だが)。
・私の妻は、今、どこを旅しているのだろう。(舟に乗って、どこか遠く(たとえば三河国)へ行ってしまったのだろうか。)それとも、もう帰路について、海藻が海中に「隠(なば)る」の名を持つ名張の山を今日あたり越えるのだろうか(飛鳥京に居るので、想像だが)。
・・・
舎人娘子(とねりのむすめ)が、持統天皇の伊勢国行幸に(一説に持統上皇の三河国御幸に)同行して詠んだ歌
・逞しい男が、幸(さつ)矢(猟矢)を手に挟んで持ち、立ち向かって射る的、その的の名を持つ「円方(的形、的潟、まとかた)の浦」(三重県松阪市東黒部町の中の川の河口。式内・服部麻刀方(はとりまとかた)神社周辺)は、見るからに清々しい。

 41番歌・・・「今日も」って、昨日も刈ったのか? 身分の低い従者ではなく、身分の高い大宮人が麻続王のように毎日、海藻を採るのか? まぁ、想像だが。

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 あみ/あご浦(志摩国の国府所在地)から「伊良湖の島々」を巡るの島巡りの遊覧船が出るという。(「日本三景」の松島のようなものか?)
 「伊良湖の島々」は、伊勢国から三河国伊良湖岬を見た時、視界に入る島々を指すというが、「伊良湖の島」は、地名では無く、「周囲が切り立った崖の島」のことであり、柿本人麻呂の歌の「伊良湖の島」は答志島、麻続王の歌の「伊良湖の島」は神島だという。(上の写真はイメージ写真(雄島と島巡りの遊覧船)。)

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《伊良湖の山々》

・宮山(直立(ちょっぽり)山、御山、明神山):139.8m(二等三角点)
・骨山(ほねやま):田原市日出町(ひいちょう)骨山。標高112m。
・古山:田原市伊良湖町宮下・古山。標高91m。
・小古(ちいこ)山:田原市伊良湖町宮下・古山。標高40m。

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 私だったら、岬に神社を建てるが、岬の古山は標高91mと低く、背後の宮山(標高139.8m)から見下されてしまうので、宮山に伊良湖神社を建てたのであろう。伊良湖神社のご祭神は、式内・服部麻刀方神社同様、栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)である。

栲幡千々姫命:高皇産霊神(高木神)の娘で、天照大神の子・天忍穂耳命と結婚し、尾張氏の祖・天火明命と「天孫降臨」で有名な瓊瓊杵尊(天照大神の孫)を産んだ。伊勢国一宮・椿大神社(三重県鈴鹿市)では、相殿に瓊瓊杵尊と共に祀られている。

 宮山の別名「明神山」の「明神」とは「持統天皇陵奉祭大明神」のことで、持統天皇のお墓のこと。宮山は持統天皇の故地(持統上皇三河御幸の行宮があったとか?)なのだろうか?私なら、お墓は宮山ではなく、持統上皇三河御幸の行宮があった宮路山の麓の草壁皇子のお墓の横にたててあげるけどね。
 宮山は陸軍所有となり、明治38年(1905年)、伊良湖神社は山頂から山麓へ降ろされた。宮山には、赤レンガの砲弾着弾観測所などがあり、登山客は、神社マニアではなく、戦争遺跡マニア、廃墟マニア、三角点マニア、原始林マニアである。

 骨山(標高112m)は伊良湖ビューホテルがある山である。伊良湖ビューホテルは変わっている。何が変わっているかといえば、「伊良湖」を「いらご」と正しく読まずに、「いらこ」と読むことである。清音の方が観光客に受けが良いのだという。
★伊良湖(いらこ)ビューホテル
https://www.viewhotels.co.jp/irako/

 伊良湖(いらご)へは、令和4年4月に温泉施設が出来たら行ってみたいと思う。(現在、伊良湖ビューホテルは、岐阜県の「いけだゆげ温泉」から直送している。)きちんと伊良湖の調査をし、温泉に浸かりながら頭を整理して、この記事を書き直したいものだ。
http://www.city.tahara.aichi.jp/kankou/kankou/1007442.html
https://www.viewhotels.co.jp/irako/spaview/

(2)持統天皇の伊勢行幸日程

■『日本書紀』(巻3)朱鳥7年/持統6年(692年)
2月11日条
:二月丁酉朔丁未。詔諸官曰。當以三月三日將幸伊勢。宜知此意備諸衣物。賜陰陽博士沙門法藏。道基銀人廿兩。
2月19日条:乙卯。詔刑部省。赦輕繋。是日、中納言直大貳三輪朝臣高市麿上表敢直言。諌爭天皇欲幸伊勢妨於農時。
3月3日条:三月丙寅朔戊辰。以淨廣肆廣瀬王、直廣參當麻眞人智徳、直廣肆紀朝臣弓張等爲留守官。於是。中繩言三輪朝臣高市麿脱其冠位。擎上於朝。重諌曰。農作之節。車駕未可以動。
3月6日条:天皇不從諌。遂幸伊勢。
3月17日条:賜所過神郡及伊賀。伊勢。志摩國造等冠位。并兔今年調役。復兔供奉騎士。諸司荷丁。造行宮丁今年調役。大赦天下。但盜賊不在赦例。
3月19日条:賜所過志摩百姓男女年八十以上稻人五十束。
3月20日条:車駕還宮。毎所到行。輙會郡縣吏民。務勞賜作樂。
3月29日条:詔、兔近江、美濃、尾張、參河、遠江等國供奉騎士戸、及、諸國荷丁、造行宮丁、今年調役。詔賜天下百姓困乏窮者、稻男三束、女二束。
4月2日条:夏四月丙申朔丁酉。贈大伴宿禰友國直大貳。并賜賻物。
4月17日条:四月庚子。除四畿内百姓爲荷丁者今年調役。
4月19日条:甲寅。遣使者祀廣瀬大忌神。與龍田風神。
4月21日条:丙辰。賜有位親王以下至進廣肆難波大藏鍬。各有差。
4月25日条:庚申。詔曰。凡繋囚見徒一皆原散。
5月6日条:五月乙丑朔庚午。御阿胡行宮時、進贄者、紀伊國牟婁郡人、阿古志海部河瀬麿等、兄弟三戸、服十年調役、雜徭、復兔筴抄八人今年調役。

※解説記事「『万葉集』の謎:伊良湖の麻続王と持統天皇」
https://note.com/sz2020/n/nbdb47a4893d1

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