見出し画像

遠江国橋本宿の橋本砦

画像2


 上の写真は、紅葉寺を正面(南)から撮った写真で、右(東)が愛宕山で、左(西)が歌枕として有名な高師山です。

 南から、

フェイク道─紅葉寺─連郭式砦(3段)─尾根の道─北麓の道(猪鼻坂)

となっており(高師山から天神社に下る坂を「猪鼻坂」とする人もいるが、地元民は、高師山を越えない高師山北麓の坂道を「猪鼻坂」と呼んでいる)、北条時行らしい「脱げ道を中核とする砦」になっている。

 ただし、地元では「北条時行は逃げた」と伝えられているが、『太平記』では、北条時行は鎌倉にいて、東海道で足利ブラザーズとは戦っていないことになっている。

 紅葉寺裏の「橋本砦」については、
①源頼朝上洛時の護衛兵の野営地説
②「中先代の乱」の橋本砦説
の2説があるが、両方正しいと思う。源頼朝上洛時には、源頼朝は橋本宿に泊まり、梶原源太景季は橋本宿の東の源太山の「物見の松」、梶原平次景高が橋本宿の西の平次ヶ谷の「物見の松」に登って警戒したという。ということは、源頼朝上洛時の護衛兵は、「橋本砦」を含む源太山と平次ヶ谷の間に散在して、野宿をしたのであろう。
(なお、紅葉寺は、「源頼経上洛の際に恋仲になった橋本長者の娘が、正嘉2年(1258年)に源頼経の菩提を弔うために建立した寺」と伝えられてきたが、「源頼朝の死後、源頼朝の菩提を弔うために橋本長者が建てた寺」であることが、仏像の内部に納められていた文書が発見されて判明した。)

ここから先は

598字 / 4画像

¥ 100

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。