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松平泰親の正体3説と名前

■大久保忠教『三河物語』
 太郎左衛門尉泰親(やすちか)、御法名・用金(ゆふきん)。是も御父に劣らせ給はざりし弓取と申し、御慈悲中々申し尽くしがたし。
 然る所に、大臣殿、勅勘を被らせ給ひて、三河の国ゑ流罪ならせ給ふ。然りとは申せども、程無く赦免ならせ給ひて、御帰京とぞ申しける。其の時、国中におひて、大、小人に寄らず、名の有る侍に「御供申せ」と有りし時、国中をさがせ給へども、源氏の嫡々にてわたらせ給へば、是にましたり族姓なし。「其の儀ならば、泰親、御供あれ」と仰せられて、御供こそ成さられけり。其れよりして、三河の国ゑ御綸旨には「徳河泰親」と下され給ふによって、早、国中の侍も、民百姓に至る迄も、恐れをなさざる者はなし。
 然る間、松平の郷中を出させ給ひて、岩津に城を取り給ひて、御居城として住ませ給ふ。
 其の後、岡崎に城を取り給ひて、次男に譲らせ給ふ。岩津をば和泉守信光に御代渡され給ふ。

1.松平泰親の正体


松平2代泰親の正体については、
①松平初代親氏の
②松平初代親氏の
③松平初代親氏の叔父
があります。

(1)松平親氏の


「松平初代親氏の説」は、松平氏の系図が、
 松平①親氏─②泰親─③信光
となっており、これは「②泰親は、①親氏の子。③信光は②泰親の子」だと読み解くのが自然だとする説です。
 松平氏の系図を詳しく書けば、
 松平①親氏─②泰親 ┬ 信広【松平郷松平氏(太郎左衛門家)】
          └③信光【岩津松平氏】
となります。
 『三河物語』には、最初に松平親氏を「御父」としています。
 さて、『三河物語』の最後の「其の後、岡崎に城を取り給ひて、次男に譲らせ給ふ。岩津をば和泉守信光に御代渡され給ふ」は、どう訳せばいいのでしょうか?
 『好古類纂』所収「徳川家譜」では、得川泰親は得川親氏の弟で、父を得川親季といい、子に益親、久親がおり、甥(兄・得川親氏の子)・信光を養子にしたとあります。『三河物語』の該当部分は、「松平泰親は、岩津城を奪い取って居城とした。次に岡崎城を奪い取った。その後、岡崎城を松平泰親の次男(長男は京都在住)に譲り、岩津城は養子・松平信光(兄・松平親氏の次男)に渡して松平家を継がせた」と訳せばいいでしょう。

★参考:『系図コネクション』(清和源氏)「得川義季」
https://www.his-trip.info/keizu/entry184.html

(2)松平親氏の


 「松平初代親氏の説」については、『松平村誌』所収「松平氏由緒書」に、祐金斉(後の松平泰親)は、兄・徳翁斉(後の松平親氏。「松平氏由緒書」では松平信武)と共に諸国を遍歴し、八橋に逗留していたのを、徳翁斉が在原松平信重に「八橋にいる弟・祐金斉を松平郷に呼んでもいいか?」と尋ねると、OKが出たので呼び寄せたとある。松平親氏が病死した時、子の信広&信光兄弟はまだ幼かったので、松平親氏の妻・在原松平水女が女城主として・・・とはならず、松平泰親が「太郎左衛門尉」と名乗って、松平郷松平家を3年半に渡って仕切ったので、その功績によリ、松平家2代として系図に入れたという。

 得川長親┬得川(後に松平)親氏 ┬松平信広【松平郷松平氏】
     └得川(後に松平)泰親 └松平信光 ┬親長【岩津松平氏】
                     └親忠【安祥松平氏】…家康

※「松平氏由緒書」では、松平親氏を松平信武とする。「信」は在原松平氏の通字である。不思議なのは、信広&信光兄弟が、松平家の通字「親」ではなく、在原松平氏の通字「信」を使っていることである。もしかして、信広&信光兄弟は、在原松平信重の孫か?
 なお、松平信光は、室町幕府政所執事・伊勢貞親の被官となった。子供たちの名の「親」は、得川長親、松平親氏、松平泰親の「親」ではなく、伊勢貞親からの偏諱である。

※『三河物語』には、「岩津をば和泉守信光に御代渡され給ふ」とあるが、実は、松平太郎左衛門泰親は、松平親氏の長男・松平太郎左衛門信広に家督(松平太郎左衛門家)を譲っている。つまり、松平太郎左衛門家が嫡流筋(宗家)であるが、実際は、徳川家康を輩出した傍流の安祥松平家を宗家とする次の系図が使われるので、『三河物語』にあるように、②泰親が③信光に家督を譲ったように見える。

 松平①親氏─②泰親─③信光─④親忠…⑨元康(徳川家康)【徳川氏】

★堀江登志実「人物探訪 松平八代 ②二代 松平泰親」
https://mikawa-komachi.jp/history/matsudaira-yasuchika.html

(3)松平親氏の叔父


 松平親氏は多くの業績を残して亡くなった。その後、徳阿弥が三河国へやって来た。松平親氏=徳阿弥だとすると、「松平親氏として多くの業績を残して亡くなった松平親氏=徳阿弥よりも年上の人物は誰か」となるが、松平親氏の父親は松平親氏と行動を共にしているので、叔父・松平泰親としか考えられないという。
 私には、松平親氏として多くの業績を残したのは、在原松平信盛&信重父子だとしか考えられないけどね。

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