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Recoの若君語り ー『逃げ上手の若君』(第5回)「決着!犬追物、そして…」ー

 武芸に秀で、驚異の「目」の良さを持つ貞宗との犬追物対決。時行は大きく点差をつけられ、負傷し、追い込まれてゆく。しかし、手綱を取り、馬を走らせ、容赦のない攻撃にさらされながら、時行は……瞳を輝かせていた!「逃げ」のなかに自らの戦い方を見いだした時行は、じわじわと貞宗に迫ってゆく。
果たして、犬追物の結末は――。
貞宗との勝負の相手に時行を指名した、頼重の思惑とは――。
 そして、諏訪大社から離れた地からは、とある盗人の噂が届くのだった……。

<関連年表>

正慶2年/元弘3年(1333年)
5月18日 新田義貞、鎌78倉攻撃開始(「鎌倉の戦い」)
5月21日 新田義貞、稲村ヶ崎を突破し、鎌倉市内へ。
5月22日 北条一族&家臣283人、東勝寺で自害(「東勝寺合戦」)
       鎌倉幕府滅亡(北条時行ら3人のみ逃亡)
5月29日 北条邦時が五大院宗繁の密告によって捕えられ、斬首。
7月17日 後醍醐天皇、「建武の新政」開始。足利高氏、尊氏に改名。

・南北朝鬼ごっこ① 「賽の鬼」五大院宗繁:主従とのコンビで撃破
・南北朝鬼ごっこ② 「牛鬼」牡丹:黒曜石で撃破
・南北朝鬼ごっこ③ 「千里眼鬼」小笠原貞宗:パルティアンショット炸裂


【今回の話】 犬追物②(コミックス第1巻 第5&7話/第2巻 第8&9話)

       ┏五大院宗繁⇒北条時行が兄の仇討ち
       ┗常葉前(二位局)
         ┣北条邦時(1325年生まれ)⇒逃亡⇒密告され斬首
         ┣北条時行(1329年生まれ)⇒逃亡(信濃国へ)
   北条貞時┳北条高塒⇒東勝寺で自害
       ┗北条泰家⇒逃亡(陸奥国へ)

「パルティアンショット」とは?

 パルティアンショット(英: Parthian shot)とは、弓術(広義)における射法の一つ。軍事においては弓騎兵の射法の一つであり、また、その射法を用いた戦術をも指す。
 軍事においては、遊牧民族の弓騎兵が一撃離脱戦法のための用いる射法の一つ、および、その射法による戦法を指す語である。「パルティアの射撃」を原義とするこの語が成立したのは、西暦紀元前後数百年のあいだ古代オリエント世界の中央部で繁栄したパルティア王国(紀元前247年頃 - 226年)が、その使い手として知られ、何度も交戦したローマ人を体験者としてのちのヨーロッパ人にまで語り継がれたことによる。オンライン・エティモロジー・ディクショナリーによれば、そもそも英語の "Parthian" という語は、1580年代にパルティアンショットについて言及した一節 "of or pertaining to the Parthians," に初出している。
 なお、パルティアで開発されたものではなく、それより遥かに古いスキタイに起源を求める説が有力である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【新キャラ】

風間玄蕃

 風間玄蕃(かざま げんば)。風魔(ふうま)じゃないのか。。。

風間玄蕃(かざま げんば)
声 - 悠木碧
 信濃の桔梗ヶ原に悪名を轟かす盗人。敵を欺く変装や工作に長けており、その能力を買った頼重から時行に一党加入を勧められた。特殊な粘土で作った狐面を常に被っており、仮面を練ることで人相を別人に変化させる技術を持つ。守銭奴で、女性に目がない俗物。
 元は諏訪氏の支流である風間一族の生まれだが、父は忠誠を尽くした主君のために身につけた技を卑劣だと非難された上に盗みの嫌疑をかけられ没落の憂き目に遭う。玄蕃は父から技と名前、そして「金以外信じるな」という信条を継いだ。そうした境遇から当初は時行のことも信じようとせず精神的な揺さぶりをかけるが、時行の一途さや自分を庇って時行に怪我をさせてしまったことへの負い目から出世払いで国を一つ貰うことを条件に、逃若党と契約する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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