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富士の巻狩り(4/6)「山ノ神の出現」

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 源頼朝主催の「富士野の巻狩り」は、「軍事訓練」であり、「山ノ神に祝福された万寿のお披露目の会」だったという。
 5月15日、源頼朝は、富士野に到着した。巻狩りの初日の5月16日には、早速、万寿が鹿を射止めるという吉事があり、矢口祭が開かれた。
 ところが、矢口祭の話を聞いた北条政子は、「武家の子であるから当然だ」と喜ばなかったことでケチがついたのか、5月27日、矢口祭の一の口を務めた弓の名手・工藤景光(上の絵の人物)が、鹿を逃がすという失態を演じ、発病して亡くなってしまった。源頼朝は、「不吉だ」として、巻狩りを中止して鎌倉に帰ろうとするが、山ノ神が祝福に現れたのであれば目出度いわけで、宿老たちに引き留められて巻狩りを続けた結果、翌5月28日、「曽我兄弟の仇討ち」が起こった。

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