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「旭将軍」木曽義仲に関する2題

■『平家物語』(巻第八)「名虎」
同じき八月十日の日、木曽、左馬頭に成つて越後国を賜はる。そのうへ旭将軍といふ院宣をぞ下されける。十郎蔵人、備後守に成つて備後国を賜はる。木曽は越後を嫌へば伊予を賜ぶ。十郎蔵人、備後を嫌へば備前を賜はる。

 寿永2年8月10日、木曽義仲に、従五位下、左馬頭、越後守、そして、「武家の棟梁」を示す「征夷大将軍」は与えられませんでしたが「旭将軍」が与えられました。寿永2年8月16日、木曽義仲が「越後守」を嫌うと、「源氏の棟梁」を示す「伊予守」が与えられました。

 とはいえ、「旭将軍」なる称号は存在せず、同時代の他の記録にもないので、「旭将軍」は『平家物語』の創作だろうと考えられています。
 東国から勢いよく昇った朝日も、夕方には沈む。盛者必衰。

1.旭化成


旭化成の「旭」は、工場付近に「旭将軍」木曽義仲の墓があることによる。

■「社名の由来は?」(旭化成公式サイトより)
レーヨンを創業した地、膳所には義仲寺という寺があります。
この寺の敷地内に旭将軍・木曾義仲の墓があり、ここ膳所をゆかりに旭将軍から「旭」の文字をいただいたのが社名のゆかりです。
また、「化成」は、中国の「易経」に語源を持ち、「より良い方向へ生成、変化、発展する」という意味があります。その後幾度かの合併を行い成長し、1946年に旭化成工業株式会社に社名変更しています。
https://www.asahi-kasei.com/jp/100th/archives/corr/01/

 木曽義仲が大好きな有名人といえば、松尾芭蕉と芥川龍之介が挙げられる。確かに『木曽義仲論』を書いた東京府立第三中学校の生徒・芥川龍之介は大ファンであったろう。でも、松尾芭蕉はどうか?

※芥川龍之介『木曽義仲論』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/81_14934.html
※「芥川龍之介・松尾芭蕉も惚れた!平安時代の武将・木曾義仲の生涯と美学に迫る」
https://intojapanwaraku.com/culture/55224/

松尾芭蕉は、遺言で、
「骸は木曽塚に送るべし」(朝日山義仲寺の木曽義仲の墓の横に葬れ)
と言ったのであって、「木曽義仲が大好き」とは言っていない。私は、「木曽義仲の横に葬れ」とは、自身を巴御前に見立てた洒落ではないかと思っている。
 江戸深川に構えた庵「草庵」に植えたバショウ(芭蕉)が大きく生長して名物となり、門人達がこの庵を「芭蕉庵」と呼ぶようになったのを受けて、天和2年(1682年)、洒落で自らを「芭蕉(はせを)」と号するようになった。俳号「芭蕉」の誕生である。
 ━━そもそも松尾芭蕉は、なぜ自宅にバショウを植えたのか?
 バショウはバショウ科バショウ属の観葉植物である。バナナの実と異なり、バショウの実は苦くて食用にはできない。巨大で、狭い土地に植えるような植物ではない。
 バショウを漢字で書くと、植物だけに草冠がつくが、草冠を取れば、
 ━━巴焦御前に恋がれる男)
となる。松尾芭蕉は、木曽義仲ではなく、巴御前が大好きで、「木曽義仲の墓の横に葬れ」とは、「大好きな巴御前様。巴焦がれる私が、あなたの替わりに、木曽義仲様の横でお守りしますので、ご安心下さい」という意味ではないかと思う。

2.千葉県旭市


源義仲(木曾義仲)┬長男:源義高(木曾義高、清水冠者義高)
         ├次男:源義重(木曾氏の祖?)
         ├三男:源義基(群馬県渋川市に落ち延びる)
         ├四男:源義宗(後の源義茂)
         └五男:源基宗

 木曾氏は小笠原氏、村上氏、諏訪氏と並んで「信濃四大将」と呼ばれている。初代は源義仲で、2代目は次男・義重とも、三男・義基ともいう。

※義仲館「義仲伝承地案内板 ~女性と子孫~」
https://yoshinakayakata-museum.note.jp/n/n0c348e4a0937

 戦国武将・木曾義昌は、第19代木曾家宗主である。天正18年(1590年)、徳川家康の関東移封に伴い、下総国阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)1万石が与えられて木曽谷から移った。   

  信濃よりいづる旭をしたひ来て
           東のくにに跡とどめけむ (野々口隆正)

※「旭という名前の由来」(旭市公式サイトより)
 室町幕府滅亡後、当地を治めていた戦国武将・木曽義昌(朝日将軍・木曽義仲の19代子孫)は善政をしき、領民に慕われました。時は過ぎ1852年、京都の歌人・野々口隆正が当地を訪れ「信濃より いづる旭をしたひ来て 東のくにに 跡とどめけむ」と、義昌公を偲んだ歌を詠み、これにちなんだとされています。
 また将来、旭日昇天のような勢いをもって発展することを願ったことが「旭」の名前の由来との資料も残されています。
https://www.city.asahi.lg.jp/soshiki/3/2725.html

※「木曽義昌 きそよしまさ(1540〜1595年)」
https://www.city.asahi.lg.jp/outline/guide/pioneer.html

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