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宇佐神宮のご祭神はどなた?

 ──宇佐神宮のご祭神はどなた?

■宇佐津彦&宇佐津姫(宇佐プロデュース)


 単純に考えれば、「宇佐神宮とは、宇佐国造の後裔・宇佐氏が、宇佐(『魏志倭人伝』の「不弥国」?)の地主神である宇佐津彦&宇佐津姫を祀った神社」であろう。この宇佐津彦&宇佐津姫は、『日本書紀』「神武天皇紀」に登場する。

■『日本書紀』(巻3)「神武天皇紀」神武天皇の東征
行至筑紫國菟狹(菟狹者地名也。此云「宇佐」。)時、有菟狹國造祖。號曰菟狹津彦、菟狹津媛。乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。(一柱騰宮。此云「阿斯毘苔徒鞅餓離能瀰椰」。)是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。
(行きて筑紫国の菟狭(「菟狭」は地名なり。此れを「うさ」と云ふ。)に至りし時、菟狭国造の祖有り。号(なづ)けて菟狭津彦、菟狭津媛と曰ふ。乃ち菟狭の川上にして、一柱騰宮を造りて饗奉る。(一柱騰宮。此れを「あしひとつあがりのみや」と云ふ。)是の時に、勅して菟狭津媛を以て、侍臣・天種子命に賜妻せたまふ。天種子命は、是は中臣氏の遠祖なり。)

 神武天皇の東征時、宇佐に立ち寄った。この時、宇佐国造の祖・宇佐津彦&宇佐津姫が、行宮(かりみや)「一柱騰宮」を建てて饗応したという。宇佐津彦&宇佐津姫は夫婦とされるが、兄妹だったのだろうか、この時、神武天皇は、従臣・天種子命(中臣氏(後の藤原氏)の祖)に宇佐津姫を与えた。藤原氏の祖といえば、春日大社の祭神・天児屋命であるが、天種子命は、天児屋命の孫で、神武天皇のもとで祭祀を担当した。(なお、「後藤氏」は、「豊国の原氏」のことである。)

 この宇佐氏が宇佐神として祀った宇佐津彦&宇佐津姫は、宇佐氏が新興勢力の辛島氏に押されると、宇佐神宮の本殿を追い出され、境内社・宇佐祖神社に菟沙津彦&菟沙津姫として祀られた。
 替わって本殿に祀られたのは、神体山・御許山に最初に降臨した比売大神と、次に御許山に降臨して日本の神となった八幡神、そして、下宮が造営された100年後に祀られた神功皇后で、「八幡三神」と称されている。

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