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承久の乱

武士が朝廷に弓を引くことはない。
ましてや争って勝つことも有り得ない。
しかし、それが起きてしまったのが「承久の乱」である。

武士(鎌倉幕府)にとっては、売られた喧嘩を買っただけ。
朝廷(後鳥羽上皇)にとっては、崇徳上皇の
「我、日本国の大魔縁となり、皇を取て民となし、民を皇となさん」
という呪詛(遺言)が成就したことになる。

高校日本史『詳細日本史図録』(山川出版社)

鎌倉幕府軍(朝敵)            朝廷軍(官軍)
・尼将軍・北条政子            ・畿内・西国武士
・北条義時、泰時、時房          ・寺社:僧兵、神人
・東国武士                ・東国武士(一部)
以上19万人                以上1.9万人
 ・東海道軍(10万人):北条時房      ・東海道軍(7000人)
 ・東山道軍(5万人):武田信光       ・東山道軍(5000人)
 ・北陸道軍(4万人):北条朝時       ・北陸道軍(7000人)

 さても其世の乱を思に、まことに末の世にはまよふ心もありぬべく、又下の上をしのぐ端ともなりぬべし。其いはれをよくわきまへらるべき事にはべり。頼朝勲功は昔よりたぐひなき程なれど、ひとへに天下を掌にせしかば、君としてやすからずおぼしめしけるもことわりなり。況や其跡たえて後室の尼公陪臣の義時が世になりぬれば、彼跡をけづりて御心のまゝにせらるべしと云も一往いひなきにあらず。しかれど白河、鳥羽の御代の比より政道のふるきすがたやうやうおとろへ、後白河の御時兵革おこりて姦臣世をみだる。天下の民ほとんど塗炭におちにき。頼朝一臂をふるひて其乱をたひらげたり。王室はふるきにかへるまでなかりしかど、九重の塵もをさまり、万民の肩もやすまりぬ。上下堵をやすくし、東より西より其徳に伏せしかば、実朝なくなりてもそむく者ありとはきこえず。是にまさる程の徳政なくしていかでたやすくくつがへさるべき。縱又うしなはれぬべくとも、民やすかるまじくは、上天よもくみし給はじ。
 次に王者の軍と云は、とがあるを討じて、きずなきをばほろぼさず。頼朝高官にのぼり、守護の職を給、これみな法皇の勅裁也。わたくしにぬすめりとはさだめがたし。後室その跡をはからひ、義時久く彼が権をとりて、人望にそむかざりしかば、下にはいまだきず有といふべからず。一往のいはればかりにて追討せられんは、上の御とがとや申べき。謀叛おこしたる朝敵の利を得たるには比量せられがたし。かゝれば時のいたらず、天のゆるさぬことはうたがひなし。

(さて、「承久の乱」の評価について考えると、後世において、迷うこともあるであろう。また、「下克上の端緒」にもなるであろう。事が起こった原因を究明すべきである。源頼朝の勲功は、歴史の中で抜群だが、天下を握ったのは、天皇から見れば面白くないことであろう。ましてや、源頼朝の子孫が絶え、妻・北条政子の陪臣・北条義時が継いだので、後鳥羽上皇が彼らの地位を削って、思うままに政治を執行しようとする事は、一応、筋が通っていないとは言えない。しかし、白河、鳥羽天皇の御代の頃から、天皇による政治の古い姿は次第に衰え始め、後白河上皇の時代には、武力による争いが起こり、奸臣のために世は乱れた。人民は、「塗炭の苦しみ」(泥にまみれ、火に焼かれるような苦しみ)を味わった。源頼朝が武威を振るって乱を鎮めた。王室は古き姿に返る迄には至らなかったが、都の戦塵は収まり、民衆の負担も軽くなった。上も下も(身分の高い者も低い者も)安堵し、国の東からも、西からも、人々はその徳(源頼朝の武徳)に伏したので、源実朝が暗殺されても、鎌倉幕府に背く者があったとは聞かない。天皇方がそれにもまさるほどの徳政を実行することなくして、どうして簡単に幕府を倒すことができるだろうか。そして、たとえ倒すことができたとしても、人民が安心できないようであれば、天も決してこれに同意して与することはないだろう。
 次に、王者の軍(いくさ)とは、咎(とが、罪科)ある者のみを討ち、罪のない者を滅ぼすことはないものである。源頼朝は高い官職に就き、総守護職を給わったのは、全て後白河法皇の勅裁である。源頼朝が私意で盗み取ったものと決めつけることはできない。未亡人・北条政子が源頼朝の名跡を適切に処理し、北条義時が長く政治の実権を握って人々の期待に背かなかったのだから、(北条義時は後鳥羽上皇と戦ったが)臣下として罪があったと(朝敵だと)非難すべきではない。通り一遍の理由だけで、北条義時を追討された事は、後鳥羽上皇の過失と言うべきであろう。謀叛を起こした朝敵が勝利した例と比較して論ずることはできない。そうであれば、後鳥羽上皇の北条義時追討は、機が熟しておらず、天も許さぬことであった事であったのは疑いのない事である。)

北畠親房『神皇正統記』


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