武士が朝廷に弓を引くことはない。
ましてや争って勝つことも有り得ない。
しかし、それが起きてしまったのが「承久の乱」である。
武士(鎌倉幕府)にとっては、売られた喧嘩を買っただけ。
朝廷(後鳥羽上皇)にとっては、崇徳上皇の
「我、日本国の大魔縁となり、皇を取て民となし、民を皇となさん」
という呪詛(遺言)が成就したことになる。
鎌倉幕府軍(朝敵) 朝廷軍(官軍)
・尼将軍・北条政子 ・畿内・西国武士
・北条義時、泰時、時房 ・寺社:僧兵、神人
・東国武士 ・東国武士(一部)
以上19万人 以上1.9万人
・東海道軍(10万人):北条時房 ・東海道軍(7000人)
・東山道軍(5万人):武田信光 ・東山道軍(5000人)
・北陸道軍(4万人):北条朝時 ・北陸道軍(7000人)