『どうする家康』の神君・家康公は、何の苦も無く遠江国に入り、瀬戸方久の出番は無し。1人2役でムロツヨシさんに演じていただきたかった。
徳川家康は、「井伊谷三人衆」の案内で遠江国へ入ると、井伊谷城(上の地図の「伊井谷」)を落し、鳳来寺道を通って金指へ。すると、都田川が行く手を遮った。
その時、瀬戸村(現・静岡県浜松市北区細江町中川の瀬戸地区)の郷士(二俣城主・松井氏の縁者)・松井平兵衛(法名・方久)が現れ、渡河点(浅瀬)を教えたので、徳川家康は、無事に都田川を渡ることができ、上機嫌で、対岸の祝田では歌を詠んだ。その後、橋羽街道を南下して東海道に達すると、東進して、遠江国府所在地・見付まで行き、戻って引間城に入った。
松井平兵衛が、引間城に入った徳川家康に、家宝の刀(銘「千寿丸重船」)を献上すると、徳川家康は「千寿丸という名は長寿に繋がる」として喜び、松井平兵衛に名字「瀬戸」と、次の「(400余石の買得地の)安堵状」を授けたという。