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「桜ヶ池(男池・女池)」と「首切り坂」(静岡県御前崎市佐倉)

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※「池宮神社」現地案内板
<御祭神> 瀬織津比咩命・事代主命・建御名方命
<御由来> 創建は敏達天皇13年6月(584年)に瀬織津比咩がご出現。社殿の造営がなされた。後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。しかし平安時代中期一条天皇の長保3年(1001年)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有する今川氏の崇敬を受けたが、戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり、社殿はじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。
江戸時代に神官信盛が再び興し、徳川家の崇敬を受け、明治維新に至るまで、地頭の祈願所となっていた。

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 遠江国笠原庄佐久羅(静岡県御前崎市佐倉)の「桜ヶ池」といえば、
・湖畔の池宮神社(御祭神は瀬織津比咩命。木花之佐久夜毘売ではない!)
・法然の師で玉名市生まれの皇円阿闍梨の入定(6月14日)と龍变化
・奇祭「お櫃納め」(湖底に沈められたお櫃は諏訪湖に浮かび上がる!)
が有名ですね。特に奇祭「お櫃納め」は、「遠州7不思議」にランクイン!

地名が「佐倉」、神紋が「桜の三花三葉」、瀬織津比咩命=木花之佐久夜毘売命説があるだけに、桜とは縁があるようで、国司(長保5年(1003年)任官の藤原惟貞?)の愛妾・桜の前の話(この池を「桜ヶ池」と呼ぶ理由)もあります。

『桜ヶ池の伝説』「桜の前物語」
 一条天皇御宇(970年前)、国司藤原某、入国の時、京より桜の前という美姫を供したり。或る時、今の女池の辺りで従者と共に宴を張りたるに、宴酣の頃俄然池水揺動し、洪波岸に迫りて姫を池中に引き入れ、遂にその所在を失いたり。
 国守大いに怒り、柴薪を積み数万の鉄石を焼爛し、池中に投入す。池水沸騰し、時に忽然として異体異形の怪物池上に現われ、形牡牛の如く、額に白角を戴き、見るもの驚愕す忽ち南方に走り、駒を害したり。この地を「駒取」(こまとり)と称す。また南方に走り、見えつ隠れつ忍びて通いたる地を、「忍沢」(しのびざわ)と謂う。それよりまた東に走り、再び元の道に戻りて、其の所在をくらませりと。今此の地を牛が返りたる故、「牛返」(うしかえし)と謂う。この伝説によって今だに地名を残している。

この桜の前の話は『三国伝記』や『和漢三才図会』では、次のように紹介されています。

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