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『長篠日記』『甫庵信長記』『三河物語』に見る鳥居強右衛門

むさき氏(大学で歴史学を学ぶ学生さん)の指摘
鳥居強右衛門に関しては、
・『信長公記』『家忠日記』に書かれていない。
・江戸期以降に書かれた史料にしか、その名前と功績が記されとらん。
・彼の子孫がその功績で奥平家の家老になっとる。

平山優先生(『どうする家康』の時代考証)のお言葉
・『家忠日記』は天正5年以降なので天正3年の長篠合戦は記録されてません。
・『三河物語』と『甫庵信長記』に記述があるので、当時から知られた人物だったことは間違いないです。


 鳥居強右衛門は「忠義の武士」です。
 長篠城の使者として、岡崎城へ行き、長篠城に戻る直前、武田軍によって捕縛され、武田勝頼に、
「『援軍は来ない』と叫んで城兵を落胆させて開城に導けば、武田家に召抱え、領地もあげる」
と言われたので、承知した振りをして、実際には「援軍は来る」と叫んで城兵を勇気付けました。

楊洲周延『鳥居強右衛門敵捕味方城中忠言』

 この話は修身(道徳)の教科書にも載りました。

『尋常小学校外修身書 第3学年 巻1』明37

 鳥居強右衛門は謎の人物で、極端な説に「鳥居強右衛門=架空人物説」がありますが、『どうする家康』の時代考証・平山優先生は、上掲のツイートで「『三河物語』と『甫庵信長記』に記述があるので、当時から知られた人物だったことは間違いないです」と実在説を支持されています。

 鳥居強右衛門を謎の人物とするのは、江戸時代の書物に「忠義の人」として登場する以前は、『三河物語』と『甫庵信長記』に記述があるくらいだからです。そして、『三河物語』と『甫庵信長記』の記述に食い違いが見られ、真実(史実)は不明です。

※『三河物語』と『甫庵信長記』の鳥居強右衛門に関する記述の相違については、『どうする家康』の時代考証に就任予定であった呉座勇一先生が、次の動画で解説しておられます。

※『三河物語』と『甫庵信長記』の鳥居強右衛門に関する部分のテキストは下に載せておきます。


 『家忠日記』に書かれていれば・・・と悔やまれます。『家忠日記』の作者・松平家忠は、「長篠の戦」では、「鳶ヶ巣山砦奇襲」に参陣しています。この「鳶ヶ巣山砦奇襲」の道案内をしたのが、近藤秀用(宇利→井伊谷)、豊田秀吉(吉川)、阿部定次(乗本)です。そして、阿部定次は、『阿部之日記』を書いています。

 武田勝頼の陪臣・平谷玄蕃(下條信氏の家臣。武田氏滅亡後は平谷から黒川に移り「熊谷玄蕃」と改名)は、「長篠の戦」の時、病気で寝ていたので、「長篠の戦い」の様子を知りたくて、多くの日記を取り寄せました。彼は「各日記には相違点があり、最も信用できるのは『阿部之日記』である」と言っており、平谷玄蕃の従兄弟・熊谷直定(武田勝頼の直臣。「長篠の戦い」後、武田勝頼を平谷まで案内した)も同意しています。この『阿部之日記』を「長篠の戦い」の3年後の天正6年12月に熊谷直遐が書き写したのが『長篠日記』です。明和2年に熊谷直遐が書き写して『三陽長篠合戦日記』(「明和本」)と題しました。この写本が出版され、『長篠日記』の存在が世に広まりました。なお、「明和本」より古い写本に享保16年の『長篠軍談記』(「享保本」)があります。

 『長篠日記』についての学者の評価は「江戸時代の享保年間に『甫庵信長記』等を参考に書かれた創作。史料性は低い」です。『長篠の合戦-虚像と実像のドキュメント-』(山梨日日新聞社)の著者・太向義明氏は、『長篠日記』を、「内容には『甲陽軍鑑』や小瀬甫庵『信長記』『総見記』等の流布書との類似が著しく、近世中期以降の成立であることは明白である」とされています。

 その一方で、『長篠日記』を高く評価される方もいます。『長篠の戦い』(学研M文庫)の著者・二木謙一氏は、『長篠日記』を「記述の内容にも誇張もみられ、江戸中期以降の作と思われるが、長篠合戦を記した軍記として貴重なものである」と評価して著書『長篠の戦い』執筆の基本史料とし、著書『長篠の戦い』を「諸書を斟酌し、古戦場を足で辿り、可能な限り推理を加え、少しでも史実に近づけるよう工夫したつもり」の本だとしています。

※『長篠日記』の鳥居強右衛門に関する部分のテキストは下に載せておきます。『長篠日記』と『甫庵信長記』は「ほぼ同じ」です。どちらかが、見て写したとしか思えません。学者は「享保16年成立の『長篠日記』は『甫庵信長記』の写し」としますが、『甫庵信長記』の初版に載っていなかった鳥居強右衛門に関する話が第2版から載っているということは、甫庵が天正6年成立の『長篠日記』を読んで写した可能性もありそうです。

■『長篠日記』と『甫庵信長記』の違い
・鈴木金七郎の話が『甫庵信長記』にはない。
・武田勝頼が鳥居強右衛門を褒めた話は両署に有るが、武田勝頼への賞賛は『長篠日記』にしかない。武田家臣の熊谷氏に忖度しての加筆か?
・『甫庵信長記』の鳥居強右衛門は「切られた」であって、磔の話がない。

※金子拓「歴史の作られ方―長篠の戦いをめぐる史料を読む―」(東京大学)
※阿部一彦「『信長記』の受容と創作--『長篠日記』をめぐって」(愛知淑徳大学)

1.『長篠日記』テキスト

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