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「遠州七不思議・夜泣石伝説」1本化プロジェクト(上)現地案内板編

「遠州七不思議・夜泣石伝説」にはあまりにもバリエーションが多く、複雑です。そこで、「バリエーションをなくして1つの話にしよう」という1人プロジェクトを立ち上げました。(サポーターは0人ですが、1人で盛り上がってます(TдT)。)

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■第0陣・七人の侍

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史跡 七ツ森神社
七ツ森は田圃の真ん中に残る7つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿猴庵 が天明6年(1786)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
 その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七つ森神社です。
 この7つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。伝説では桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から派遣された7人の武士は、退治出来ずに返り討ちにあい命を落としてしまいました。哀れんだ村人が墓を造り彼らを葬りました。その墓が七つ森だと伝えられています。
 神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られ、周辺に久努、久野、久能そして国本などの地名が見られます。久努国造の名を記した扁額が納められていたり、七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は久努国造にゆかりの深い場所であったと考えられます。
            平成10年3月25日
                袋井市教育委員会

 「7つ森」ではなく、「7つ塚」の気がしますが・・・。

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 ここ(静岡県袋井市国本)は、「国本」という地名が示すように、久努国衙があった場所で、七ツ森神社は国衙の守護社・久努神社として創建されたが、「大化の改新」(行政改革)で遠江国ができると、郡衙の守護社・郡辺神社となったという。また、国史見在・鴨神社(賀茂神社)を合祀した。(上の写真は、七ツ森神社のシイの巨木、下の絵は『東街便覧図略』。)

【七ツ森神社の変遷】
 久努神社(→国史見在・鴨神社)→式内・郡辺神社七ツ森神社

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