見出し画像

静岡県浜松市北区引佐町兎荷

画像2


 「三岳山」(標高467.2m)は、西峰「兎荷山」(標高303.5m)と東峰「立須峯」(標高378.0m)を伴う三尊形式の霊山で「御嶽山」とも表記する。

 登山口は、東の滝沢(立須峯経由)、西の兎荷(兎荷山経由)、南の井伊谷、北の川名(立須峯経由)にあり、それぞれに役行者像がある。(東の滝沢の四所神社、西の兎荷の鳶ノ巣山と伊平の滝清水、南の龍潭寺、北の川名六所神社。三岳の行者像は彩色されている。)

画像3


 山頂には、南北朝時代に井伊氏が築いて後醍醐天皇の御子・宗良親王を保護した三岳城があり、少し下ると三岳神社の奥社(御祭神:日本武尊)、さらに下ると三岳神社、さらに下に蔵王権現堂がある。明治の神仏分離以後の三岳神社の御祭神は勾大兄広国押武金日尊(安閑天皇)だが、それ以前は後醍醐天皇の命で宗良親王が吉野から勧請した蔵王権現が祀られていた。現在、蔵王権現像は、蔵王権現堂を新設して祀っている。

・三岳山には16匹の土蜘蛛(一説に16人の天狗)がいて、人々を困られていたが、日本武尊が東征の時に立ち寄って退治したと伝えられている。

画像1


・「立須峯(たちすのみね)」の「たちす」は、修験者の行場の石灰岩の露出部(黒い服の三脚を立ててカメラを固定している人と、オレンジの服の人がいる場所)で、語源は「竜(たつ)巣」とも、「滝沢(たきさわ)」の語源とも。


■兎荷登山口

画像5


 兎荷の登山口。三岳城の案内板がある。(三岳城の「角井戸」を経て三岳山頂の三岳城の西搦手に至る。)

 背後は六所神社。

■兎荷六所神社

画像4


 創建年代不明。
 磐座があることからしても、兎荷には古代から集落があったと考えられている。(鍾乳洞から流れ出る水があったので、人が住みついたのであろう。)

■兎荷磐座「天の岩戸」

画像6


 上の写真の右側の巨岩。
 なぜ「天の岩戸」と呼ばれているかは不明。

■兎荷鍾乳洞

画像7


 奥行き190mの鍾乳洞。
 現在は塞がれ、流れ出る水は地域住民の生活水(飲料水)になっている。

■楠御前の墓(兎荷出口の得月寺境内)

 得月寺(静岡県浜松市北区引佐町兎荷345)は臨済宗方広寺派の寺。
 宗良親王の妾・楠御前は、宗良親王と三岳城にいたが、戦況が不利になったので、三岳城の西搦手から兎荷の民家へ逃げ、宗良親王が無事に大平城に逃げたと聞くと、安心して亡くなったという。

■役行者像(兎荷鳶ノ巣山)


 「浜松地域遺産」(現在455件)の1つ。
 山頂の巨岩の下。
 10 月に祭祀が行われる。

★浜松地域遺産
平成28年度に91件、29年度に101件、30年度に50件、31年度(令和元年)に66件、令和2年度に147件と、制度導入後5ヶ年で合計455件の認可。

引佐町兎荷 楠御前の墓 伝承地。
引佐町兎荷 兎荷鳶ノ巣山の行者様 有形民俗。
引佐町兎荷 得月寺境内 史跡 応永32年の開創。
引佐町兎荷 兎荷六所神社境内 史跡 神社の裏山に「天の岩戸」と呼ぶ磐座。
引佐町兎荷 兎荷鍾乳洞 天然記念物 全長190m。飲料水源のため立入不可。

■兎荷の棚田

画像8


 左は「獅子頭(ししがしら)岩」。


記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。