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Recoの若君語り ー『逃げ上手の若君』(第2回)「やさしいおじさん」ー

 鎌倉幕府の守護神とも称された足利高氏。 その高氏の謀反により、鎌倉幕府は驚異の速さで滅亡に追い込まれる。 伯父の五大院宗繁に保護され、高氏に与する武士たちの目を潜り抜けた時行の兄・邦時。 一方、時行は頼重の領地・信濃諏訪に向かうため、鎌倉の外れにある廃屋に身を隠していた。しかしそこにも監視の目が向いてゆく。 見知った旗印ばかりが翻る。誰が敵で、誰が味方か。 裏切りの連鎖に打ちひしがれる時行たちに、さらなる苦難が迫るのだった――。

正慶2年/元弘3年(1333年)
5月18日 新田義貞、鎌78倉攻撃開始(「鎌倉の戦い」)
5月21日 新田義貞、稲村ヶ崎を突破し、鎌倉市内へ。
5月22日 北条一族&家臣283人、東勝寺で自害(「東勝寺合戦」)
       鎌倉幕府滅亡(北条時行ら3人のみ逃亡)
5月29日 北条邦時が五大院宗繁の密告によって捕えられ、斬首。

【今回の話】 鎌倉幕府滅亡(コミックス第1巻 第2&3話)

       ┏五大院宗繁
       ┗常葉前(二位局)
         ┣北条邦時(1325年生まれ)
         ┣北条時行(1329年生まれ)
   北条貞時┳北条高塒
       ┗北条泰家

『逃げ上手の若君』では、兄・北条邦時は側室の子であるので、北条時行が嫡男だとしているが、
・北条高塒の正室は、安達時顕の娘であるが、子は生んでいない。
・北条邦時の母は、北条高塒の側室・常葉前である。
・北条時行の母は不明だが、『太平記』には、北条邦時と北条時行の母親は北条高塒の側室・二位局だとする。ということは、常葉前=二位局となる。
 この常葉前(『太平記』の二位局)は、五大院宗繁の妹(系図によっては娘)とされるので、北条邦時にとって五大院宗繁は、叔父(母の兄)となる。北条邦時にとって五大院宗繁は、「やさしいおじさん」であったか?

 鎌倉幕府滅亡時、兄・北条邦時は叔父・五大院宗繁に預けられ、弟・北条時行は諏訪頼重(『太平記』の諏訪盛高)に託された。

───北条邦時にとって五大院宗繁は、「やさしいおじさん」ではなった。
  「戦国鬼ごっこ」の最初の鬼であった。

 宗繁は高時から長年にわたり恩を受けてきた人物であり、邦時を託される際に高時は「いかなる手段を使っても匿って守り抜き、時が来れば立ち上がって亡魂の恨みを和らげてほしい」と頼んだとされる。
 しかし、鎌倉制圧後に新田軍による北条の残党狩りが行われ、残党を捕らえた者に褒賞が与えられると知ると、宗繁はその褒賞目当てに甥であり主君でもある邦時を裏切ろうと考えた。宗繁は邦時を言いくるめて別行動をとり、5月27日夜半に鎌倉から伊豆山へ向かわせると、自らは新田義貞の執事・船田義昌に邦時の所在を密告した。そのため、28日に邦時は伊豆山へ向かう途上の相模川で捕縛され、29日に鎌倉で処刑された。
 やがて宗繁の裏切りは人々に「不忠」として糾弾され、人々の声を伝え聞いた義貞が処刑を決めると、それを知った宗繁は逃亡した。宗繁は逃亡を重ねるも、その所業を知った世の人々は誰も救いの手を差し伸べることはなく、旧友らにも一椀の飯すら与えられず見捨てられ、最期は乞食のようになり果てて路傍で餓死したとされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【あらすじ】

 双六、桃鉄、寝起きドッキリ・・・外国人には理解不能だろうな。

【鬼・五大院宗繁】

【新キャラ】

(1)望月亜也子

 望月重信の庶子(側室の子)。
 戦国時代に諏訪巫を率いた望月千代の先祖か?

(2)祢津弧次郎(こじろう)

 諏訪神党に連なる祢津家当主・頼直の妹が北条に近い御内人に乱暴されて産まれた子。妊娠させた男は認知せず、母親は祢津弧次郎を産んだ際に命を落としたため、祢津一族内では厄介な出自の孤児として扱われている。祢津頼直の嫡男・祢津祢津小次郎と同じ名を与えられ、影武者として働いている。
 ちなみに、芸人・ねづっちさんの本名は津俊弘(ねづ としひろ)であって、津氏ではない。




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