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梶原景時(4/5)「嫡男の愛馬・磨墨」

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その比、鎌倉殿に、「生食」「磨墨」とて、聞ゆる名馬ありけり 。

・するすみ(磨墨、摺墨)
・いけづき(生食、生唼、池月)

■『平家物語』(巻第九)「生食」
 その比、鎌倉殿に、「生食」「磨墨」とて、聞ゆる名馬ありけり 。「生食」をば梶原源太景季、頻りに所望み申しけれども、「これは自然の事あらん時、頼朝が物具して乗るべき馬なり。これも劣らぬ名馬ぞ」とて、梶原には磨墨をこそ賜ひてけり。その後、佐々木四郎高綱、御暇申しに参たりけるに、鎌倉殿、いかが思し召されけん 、「所望の者は幾らもありけれども、その旨存知せよ」とて、「生食」をば佐々木に賜ぶ。佐々木、畏つて申しけるは、「高綱、今度この御馬にて宇治川の真先渡し候ふべし。もし『死にたり』と聞し召され候はば、『人に先をせられてけり』と思し召され候ふべし。『未だ生きたり』と聞し召され候はば、『定めて宇治川の戦陣をば佐々木ぞしつらんものを』と思し召され候へ」とて、御前を罷り立つ。

(源頼朝は、2頭の名馬を持っていた。1頭を「するすみ(磨墨、摺墨)」、もう1頭を「いけづき(生食、生唼、池月)」と言った。
 梶原景季(梶原景時の嫡男)が、源頼朝に「生食が欲しい」とねだったが、源頼朝は「これは、いざという時に私が乗る馬だから、お前にはこちらを」と、磨墨を与えた。後に何を思ったのか、源頼朝は生食を佐々木高綱に与えてしまった。感激した佐々木高綱は、「この名馬に乗って宇治川の先陣を切ります。(足が速いので、1番乗り出来るでしょう。)『佐々木高綱が死んだ』と聞いたら、先陣を切れなかったと思って下さい」と源頼朝に誓った。)

 かくして、磨墨に乗る梶原景季と、生食に乗る佐々木高綱とで、佐々木高綱の命を賭けた「宇治川の先陣争い」が繰り広げられることとなった。

1.「磨墨」伝説の地


 この名馬「磨墨」の生誕地や墓所は、全国各地にある。(以下は生誕地17ヶ所と墓所5ヶ所のリストである。)複数ある理由は、「宇治川の戦い」(木曽義仲 vs 源義経)前に源頼朝に献上された馬は数百頭で、「磨墨」という名の馬が複数いたからかもしれない。また、各牧場主(御家人)は牧場内の最高の馬を献上したので、「源頼朝が黒毛の駿馬に「磨墨」と名づけて気に入っている」という噂を耳にして、「我が牧場が献上した黒馬に違いない」として誇ったのであろう。
 時期的に坂東馬の可能性が高いが、源義経がもたらした奥州馬(南部馬)かもしれない。西国には平家がいたので、西国馬である可能性は低い。

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