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原文&現代語訳『安倍晴明物語』にみる「寛和の変」



【原文(1~2ページ)】


花山院の御遁世をしる事

 花山院は冷泉院第一の皇子として、御位につかせ給ひ、小野の宮殿の御むすめを、女御とし給ふ。弘徽殿(こうきでん)におはしましければ、弘徽殿の女御とぞ申したる。
 いくほどなく、むなしくなられたひければ、みかどの御なげきかぎりなし。世の中よろづ御心ほそく思ひ乱れすせ給ふおり、粟田(あはた)の関白、いまだ殿上人にておりたる時、もちたへるあふぎに「妻子珍宝及王位臨命終時不随者」といふ心地観経の文をかきたりけるを、みかど、御手にとりて御らんじけるより仏心をおこして、寛和二年六月廿二日に、厳久(げんきう)法師(げんきゅうほうし)と藤道兼(とうのみちかね)のただ二人めし連れて、貞観殿の萩戸(はぎと)より、忍び出させ給ひ、御年十九にて、花山寺にして御かざりおろされ玉ひ、法号を、入覚(にゅうかく)とぞ申さる。五畿内の霊仏霊地おがみめぐり、紀州の那智に三年おこないを玉ひ、奇瑞をつらねり。都にかへり、花山寺に入て、真言灌頂をひらき玉ひ、寛弘五年二月八日、四十一歳にて崩御せらる。 御位をさせ給ふ事、わづかに二年のあひだ也。
 はじめ、御出家がありきま夜、晴明が屋かたのまへをとをり玉ひしに、晴明は、はしちかく出て涼みしが、「帝座の星、俄かに座をうつしたり。これ、天子がくらゐをすべり玉ふしるしなり。これいうもいか成事ぞ」とおどろき申す声を、みかどは、物ごしに聞かしめされ、そこを足ばやに過させ給ひ

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