2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第21回)「仏の眼差し」
梅雨に入る ドラマの方は 半ばなり (Reco)
時政が ふるさとにのこす 梅雨の墓 (水原秋桜子)
寂かにて 願成就院 梅雨はれぬ (石田波郷)
東海地方の入梅は、例年、6月6日頃である。6月6日は、年始から157日目(オリンピックが開催される閏年では158日目)にあたり、年末まであと208日になる。 そして、大河ドラマの解説本の後編が発売される時期でもある。
さて、今回のタイトルは「仏の眼差し」である。
仏師・運慶作「阿彌陀如来坐像」(国宝。文治2年(1186年)作。像高142.0cm)のお顔は誰に似ているのか? 孤児を保護する北条八重の顔か?
北条義時「ふと妻の顔お思い出してしまいました」
運慶 「俺の母にもよく似ておる」
伊豆国にいる北条義時は、まだ鎌倉で北条八重が溺死したことを知らない。
さて、願成就院のご本尊が阿弥陀如来で変えようが無いが、阿弥陀如来のお顔が女性に見えるとは、初耳である。阿弥陀如来の垂迹神は男神・八幡大神(伊弉諾尊、須佐能尊=熊野権現、大己貴神)であり、母性愛と言えば、大日如来(垂迹神は女神・天照大御神)である。
※天守君山願成就院:文治5年(1189年)、北條時政が、源頼朝の奥州合戦(藤原氏征討)の戦勝を祈願して建立した寺。静岡県伊豆の国市寺家。
https://ganjoujuin.jp/
▲北条八重の最期
史実(?)の千鶴丸は、助けられて源忠頼となったし、伊東八重は江間治郎の討死後に源頼朝の仲介で相馬師常に再嫁している。 静岡県伊東市の伝承では、「千鶴丸は溺死、伊東八重は入水自殺」となっており、『鎌倉殿の13人』の「千鶴丸は溺死、伊東八重は水死」と、結果だけは似ている。
この勢いだと、源頼朝は、川へ行って落馬し、千鶴丸と北条八重の霊(実際は河童(鎌倉党))に川に引き込まれて溺死しそうであるが、それはない。理由は2つ。1つは、源頼朝は落馬してから何日も経って死んでいるからであり、2つ目は、三谷幸喜氏が「『源頼朝が落馬が原因で死んだ』という話を初めて聞いた時、『違う』と思った」とおっしゃっておられるからである。『鎌倉殿の13人』の源頼朝の死因は、「落馬しなかった」(善児に襲われて怪我をしたが返り討ちにし、「落馬した」と善児の主人をかばった)、もしくは、「服毒、または、病気の悪化で落馬し、その後、体調が悪化して死んだ」とすると思われる。
▲北条時政の動向
・寿永元年(1182年)11月10日、牧宗親が亀の前を襲撃(「亀の前事件」)
12日、北条時政は、源頼朝の牧宗親の扱いに怒り、伊豆国へ立ち退いた。
・文治元年(1185年)11月25日、源頼朝の命を受けた北条時政は、1000騎の兵を率いて入洛し、28日、守護&地頭の設置を認めさせた(「文治の守護・地頭」)。
・北条時政は、初代・京都守護に任命されるが、在任期間はたったの4ヶ月間で、文治2年(1186年)3月27日に離京し、4月13日には鎌倉に下着した。
『鎌倉殿の13人』の北条時政は、双六で後白河法皇と堂々と戦い(わざと負けた源行家とは異なり)、「ずっと京都にいてくれ」という後白河法皇の誘いを「鎌倉で妻が待ってるから」と体良く断ったので、丹後局に後白河法皇と対等に渡り合う胆力を褒められた。
実際のところ、北条時政は田舎者だと馬鹿にされ、家来の濫妨行為が目立ったこともあって、たった4ヶ月で解任されたという。また、鎌倉に戻るにあたり、北条時政は、京都で見初めた妾と連れ子を鎌倉に連れ帰っている。(北条時政の子で、母親が不明な子が3人いるが、この妾の子? 鶴丸のモデルは、北条義時が引き取ったという連れ子?)
※京都守護
初代・北条時政:文治元年(1185年)11月~文治2年(1186年)3月
2代 ・一条能保:文治2年(1186年)3月 ~建久8年(1197年)10月
3代 ・一条高能:建久8年(1197年)10月 ~建久9年(1198年)9月
・・・(「承久の乱」後、六波羅探題が設置されて消滅 )
・文治5年(1189年)6月6日、「奥州征伐の戦勝祈願のため」に伊豆国北条に願成就院を建立したというが、運慶作の諸仏は、京都から戻った文治2年(1186年)から造り始められていることから、北条時政が、父や祖父を祀る北条家の菩提寺の御堂を大改修して大御堂として運慶の仏像を置き、文治5年(1189年)6月6日に願成就院と改名したのであろう。(願成就院には、北条時政が建立した大御堂と南塔、北条義時が亡父・北条時政の供養として建立した南新御堂、北条泰時が建立した北条御堂と北塔がある。)
運慶は、文治2年(1186年)正月の時点では、興福寺西金堂本尊釈迦如来像の造像に携わっていたが(『類聚世要抄』)、5月3日には、北条時政発願の願成就院の阿弥陀如来像等を造り始めている(像内に納入の五輪塔形銘札)。『鎌倉殿の13人』の運慶と北条時政は、願成就院の阿弥陀如来像が完成して初めて会ったとしているが、北条時政の京都守護時代に知り合い、北条時政が腕を認めて伊豆国へ呼んだのであろう。
最近、鎌倉時代の事が分かってきて、第19回の解説記事は1万文字を超えた。執筆に長時間かかったのに、長すぎて読む人がいないようなので、第20回の解説は短くし、動画を貼って長そうに見せた(笑)。今後は売るための記事ではなく、2000文字程度の自分のための覚書にしようと思っている。
▲北条時政ファミリー(『鎌倉殿の13人』の設定)
北条四郎時政┬長男・三郎宗時 (片岡愛之助) :母・伊東祐親の娘
(坂東彌十郎) ├長女・政子=源頼朝室 (小池栄子) :母・伊東祐親の娘
├次男・江間小四郎義時 (小栗旬) :母・伊東祐親の娘
├次女・実衣=阿野全成室(宮澤エマ) :母・伊東祐親の娘
├三女・ちえ=畠山重忠室(福田愛依) :母・?
├四女・あき=稲毛重成室(尾碕真花) :母・?
├三男・五郎時連→時房 (瀬戸康史) :母・?
├?・?=平賀朝雅室 (?) :母・りく=牧宗親の妹
├?・?=滋野井実宣妻(?) :母・りく=牧宗親の妹
├?・?=宇都宮頼綱室(?) :母・りく=牧宗親の妹
├四男・遠江左馬助政範(?) :母・りく=牧宗親の妹
├?・?=坊門忠清室(?) :母・不明
├?・?=河野通信室(?) :母・不明
└?・?=大岡時親(牧宗親の子)室:母・不明
▲源頼朝ファミリー(『鎌倉殿の13人』の設定)
源頼朝──┬千鶴【溺死】 (太田恵晴) :母・八重=伊東祐親の娘
(大泉洋) ├長女・一幡(大姫)(南沙良) :母・政子=北条時政の娘
├長男・万寿→頼家 (金子大地) :母・政子=北条時政の娘
├能寛→貞暁 (?) :母・大進局=常陸念西の娘
├次女・三幡(乙姫)(?) :母・政子=北条時政の娘
└次男・千幡→実朝 (柿澤勇人) :母・政子=北条時政の娘
▲「13人の合議制」のメンバー
○文官
【政策担当】①中原(1216年以降「大江」)広元 (栗原英雄)
【外務担当】②中原親能 (川島潤哉)
【財務担当】③藤原(1192年以降「二階堂」)行政 (野仲イサオ)
【訴訟担当】④三善康信 (小林隆)
○武官(有力御家人)
⑤【梶原派】梶原平三景時 (中村獅童)
⑥【北条派】足立遠元 (大野泰広)
⑦【比企派】安達藤九郎盛長(野添義弘)
⑧【比企派】八田知家 (市原隼人)
⑨【比企派】比企能員 (佐藤二朗)
⑩【北条派】北条四郎時政(坂東彌十郎)
⑪【中立派】北条小四郎義時 (小栗旬)
⑫【北条派】三浦義澄 (佐藤B作)
⑬【北条派】和田小太郎義盛(横田栄司)
▲NHK公式サイト『鎌倉殿の13人』
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
▲参考記事
・サライ 「鎌倉殿の13人に関する記事」
https://serai.jp/thirteen
・呉座勇一「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」
https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065261057
・富士市 「ある担当者のつぶやき」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/fujijikan/kamakuradono-fuji.html
・渡邊大門「深読み「鎌倉殿の13人」」
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon
・Yusuke Santama Yamanaka 「『鎌倉殿の13人』の捌き方」
https://note.com/santama0202/m/md4e0f1a32d37
・刀猫 「史料で見る鎌倉殿の13人」
https://note.com/k_neko_al/m/m0f7e5011a2ac
▲参考文献
・安田元久 『人物叢書 北条義時』 (吉川弘文館) 1986/ 3/ 1
・元木泰雄 『源頼朝』 (中公新書) 2019/ 1/18
・岡田清一 『日本評伝選 北条義時』(ミネルヴァ書房)2019/ 4/11
・濱田浩一郎『北条義時』 (星海社新書) 2021/ 6/25
・坂井孝一 『鎌倉殿と執権北条氏』 (NHK出版新書) 2021/ 9/10
・呉座勇一 『頼朝と義時』 (講談社現代新書)2021/11/17
・岩田慎平 『北条義時』 (中公新書) 2021/12/21
・山本みなみ『史伝 北条義時』 (小学館) 2021/12/23
・山本みなみ『史伝 北条政子』 (NHK出版新書) 2022/ 5/10
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