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築山殿は美人だったか? -「築山御前肖像」考 画家と歌人と-

──築山殿は美人だったか?

 築山殿は美人だったようで、『別本当代記』に「見形よき」とある。
 浜松市の国学者・杉浦国頭は、浜松の地誌『曳駒拾遺』に「そのかたち、人にこえて、いとめでたく、みやびやかなる御よそほひおわしましければ、そのよの人、したい申さずといふもの、なかりけるなり」(築山殿の容姿は人並以上で、大変良く、雅やかな着物を着ていたので、当時の人々で、慕っていない者はいなかった)と詳しく記している。

昔、駿河国今川治部大輔義元朝臣の輩・関口刑部少輔氏縁の娘君(注:築山殿)、その形、人に超えて、いと目出度く、雅やかなる御装ひおわしましければ、その世の人、慕ひ申さずと云ふ者、なかりけるなり。しかるを義元朝臣のはからひにて、故君(注:徳川家康)ぞ娶り給ひける。この御腹に次郎三郎信康の御方、奥平昌信の北の方(注:亀姫)、二所ぞましましける。

杉浦国頭『曳駒拾遺』
築山御前像(西来院蔵)

ただ、本当に美人だったかどうかは、絵も像も1つもないから不明である。

──西来院に肖像画があるのでは?

あれは当時の絵じゃないから・・・。
当時の絵ではないことは、右上の和歌を詠んだ歌人や、左中央に署名がある画家から分かる。


1.誰が詠んだ和歌か?

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