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八幡神は阿加流比売か?

神功皇后を調べていくと「卑弥呼」の問題に、
応神天皇を調べていくと「八幡大神」の問題に突き当たる。

今回は「八幡大神」の問題を取り上げる。(実は復習。)

───八幡宮のご祭神は?

この質問には誰もが答えられるであろう。

───「八幡三神」である。

    ┏八幡大神(誉田別命=応神天皇)
八幡三神╋神功皇后(応神天皇の母親)
    ┗比売大神(宗像三女神)

 主祭神は八幡大神であり、この神は応神天皇とされるが、『日本書紀』や『古事記』には「八幡大神=応神天皇」という話は出てこない。

 歴史学者の研究をまとめると、宇佐神宮の歴史は、

 ①宇佐氏が宇佐の地主神・比売大神を祀る。
 ②辛島氏が祖国の女神・比売大神を祀る。
 ③宇佐氏が比売大神を宗像三女神と定義する。
 ④大神氏が八幡神を応神天皇と定義して祀る。
 ⑤100年後、神託により神功皇后が祀られる。

であり、社殿の歴史は

神亀  2年(725年)、一之御殿(八幡大神)が建てられた。
天平元年(729年)、二之御殿(比売大神)が建てられた。
弘仁14年(823年)、三之御殿(神功皇后)が建てられた。

だという。

宇佐氏:宇佐神を祀る。後に宇佐神=比売大神=宗像三女神とする。
辛島氏:宇佐神=比売大神とする。
大神氏:宇佐神宮に、宇佐神=八幡神・応神天皇を祀る。

 要約すると、「本来の宇佐信仰の宇佐神は比売大神であり、磐座だけで社殿はなかったが、8世紀に入って大神氏が応神天皇を八幡神として祀ると、すぐに比売大神の社殿が建てられた。大神氏の経営手腕によって宇佐神宮は国家鎮護の大社となり、全国に八幡信仰が浸透した。そして、八幡神が祀られた98年後に国家鎮護の神功皇后も祀られた」となる。
 普通は八幡神・応神天皇だけを祀らずに、妃神とペアで祀る。妃神の代わりに神功皇后でもいいし・・・。それをしなかったということは、八幡神・応神天皇と宇佐神・比売大神の間柄は、妃や母に匹敵するものだったと思われる。

※伊勢神宮(内宮)も八幡宮も「日本国を・・・な国にしたい」と願う神社である。したがって、八幡宮で「日本をよくするために国会議員に立候補する。選挙で勝たせて欲しい」と願うのはいいと思うが、源氏が八幡宮で戦勝祈願をしたことから「弓矢八幡」、現在は「勝負の神」となって、伊勢神宮(外宮)でするような個人的な願いをする人が多い。

───本来の宇佐神である比売大神は宗像三女神か?

 八幡神については、既に検討した。

 今回問題にしている本来の神=宇佐神=比売大神については、
・宇佐の地主神(宇佐津姫)説
・卑弥呼説
・台与説
など多種多様である。

 もちろん、定説は「宗像三女神」であるが、
「それは宗像三女神です」
「それは住吉三神です」
と言われても、「3柱の内のどなた?」と聞き返したくなる。
 ちなみに、キリスト教の神は、父(ヤハウェ)と子(イエス
と聖霊で「三位一体(Trinity)」だという。

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