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『玄中記』「狐」

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狐、五十歲能變化為婦人。百歲為美女。
(二句、初學記二十九、亦引首句作「千歲之狐為淫婦為神巫」。三句、禦覽九百九十、亦引首句作「五十歲之狐為淫婦」末句作。)又、為巫神。或、為丈夫、與女人交接。能知千里外事、善蠱魅、使人迷惑失智。千歲即與天通為天狐。

狐は、五十歳にして、能く変化して婦人と為る。百歳にして美女と為り、神巫と為る。(「千歳にして淫婦、神巫」「五十歳にして淫婦」とする本もある。)或いは、丈夫と為り女人と交接す。能く千里の外の事を知り、蠱魅を善くし、人をして迷惑し智を失わしむ。千歳にして即ち天と通じ、天狐と為る。

狐は、50歳になると、人間の女に化けられるようになる。
100歳では美女に化け、巫女となる。
あるいは、人間の男に化けて人間の女と交接する。
千里の外の事を知り、魅惑し、人を迷わせ、惑わせて、正気を失わせる。
1000歳になると、天帝に仕え、「天狐」と称される。


 狐は、陽(人)と陰(鬼)の中間的存在で、50歳になると、人間の女性(陰)に化けられるようになり、人間の男性(陽)との交接(性交)により、精気を吸えるようになる。(ごくごく稀に、人間の男に化け、人間の女の精気を吸うこともある。[出典『捜神後記』])

 ただ、どの狐も50歳になると自然と人に化けられる様になるわけではない。まずは、年に1度の東岳大帝の娘・泰山(太山)娘娘(碧霞玄君)の試験を受け、合格しなければならない。[出典『不子語』「狐生員勧人修仙」]
 試験に合格した狐を「正員」と呼び、不合格の狐を「野狐(やこ)」という。正員となった狐は、まずは人に化ける方法を学び、次に鳥の言葉を学ぶ。鳥の言葉を習得後、人の言葉を学ぶ。あとは、人(女)に化け、人の言葉を話し、人(男)を誘い、情事によって、その人(男)の精気を吸う。この行為を続けることを「修行」という。
 修行を続けて千年経ると、黄金の毛皮と九本の尾を持つようになり、天帝に仕え、月宮や日宮に勤める「天狐」(「仙狐」(人で言えば「仙人」)ともいう)となる。[出典『酉陽雑俎』]
 天狐(仙狐)となれば、もう人の精気を吸わなくても生きられるし、仙術を使うことも出来る。天地の精気を吸い取り、三光(日月星)の精華を食べ、これらの物を配合して体内で「金丹」を練りあげるという。

★小山裕之訳『閲微草堂筆記』(巻18)「冠瀛久困名場」
 冠瀛は久しく名場に苦しみ、心はきわめて鬱鬱としており、かつてわたしと雪崖に言った。「聞けば旧い家があり、泊まる者は夜はかならず魘され、幽鬼なのか、狐なのか、明らかにできなかった。ある生員は胆力があり、祟る者が何物か窺おうとし、その中に寝た。二更過ぎ、本当に黒い影が瞥然と地に落ち、進むかのよう、退くかのようにし、生が転側するのを聞くと、すぐに伏して動かなくなった。人を恐れていることが分かったので、寝た振りをして待っていた。だんだん鼾をかくと、にわかに足から上るのを感じたが、胸と腹に及ぶと、すぐにぼんやりするのを覚えたので、急いで右手を奮って打ち、その尾を執り、すぐに左手でその項を扼したところ、噭然と声を出し、人の言葉を話して許しを乞うた。急いで燈を持ってこさせて見ると、黒い狐であった。人々はともに押さえ、刃でその髀を穿ち、縄を通し、みずから左腕に繋いだ。変化できまいと思い、刀を持ち、その祟ったわけを尋ねた。狐は哀鳴した。『およそ狐の霊は、みな修煉して仙人になることを求めています。もっとも上の者は調息煉神し、坎離龍虎の趣旨を講じ、精を吸い、気を服し、日月星斗の華を食らい、内結の金丹を用い、蛻形羽化します。こうするには仙授がなければならず、仙才でもなければなりませんが、このようなことは、わたしにはできません。次は顔を整えて素女となる術で、媚態で惑わし、精を摂り、補充し、内外が配合し、やはり丹となることができます。しかし取るものが少なければ道は成らず、取るものが多ければ他人を損ない、自分を利することとなり、冥罰を受けなければ、かならず天刑がございます。このようなことをわたしはしようとはいたしません。ですから剽窃の功によって、猟取の計を立て、人が熟睡しているのに乗じ、鼻息を仰いで余気を収め、蜂が蜜を採る時のように、花を損なうことがないようにし、集まるものはだんだん多く、融けあって一つになっても、元神は散ぜず、年を経て通霊できます。わたしたちがそれなのでございます。道術は粗雑で、功を積むのも苦しゅうございますが、許されないなら、百年の精力が、すべて東流に付せられますので、どうか先生は哀れんでお許しになられますよう。』。生はかれの言葉が切実なのを憐れみ、許して去らせた。(後略)

★『山海経』には、「青丘之山有獣。其状如狐而九尾。其音嬰児。能食人」(青丘の山に住む九尾の狐は、赤ん坊のような声で鳴き、人を喰う)とあるが、最も有名な九尾の狐は、『封神演義』に登場する「妲己」(後に日本に渡り「玉藻前」)であろう。

★狸は人に化ける時には木の葉を頭の上に乗せるが、狐は髑髏を頭の上に乗せて「北斗踏み」(北斗七星の形をなぞって歩く事)をする。(『酉陽雑俎』に「必載髑髏拜北斗。髑髏不墜、則化為人矣」(必ず髑髏を頭に載せ、北斗を拝す。髑髏が落ちなければ化けて人になれる)とある。)

★狐の天敵は犬である。しかし、犬を恐れるのは「野狐」であり、「天狐」(仙狐)は恐れない。「天狐」(仙狐)の天敵は、泰山娘娘、天帝や、自分より位の高い神仏(雷神、荼枳尼天等)である。

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