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小島蕉園『蕉園渉筆』(第6~12条)

(第6条)杜鵑 無杜鵑

【原文】 遠州無杜鵑。土人不知歌詩所咏何等声也。雁亦至希矣。

【書き下し文】 遠州杜鵑(ホトトギス)無し。土人は歌詩が咏ずる所の何等声を知らず也。雁、亦、至って希。

【現代語訳】 遠州(遠江国)にはホトトギスがいない。ホトトギスは漢詩や和歌に詠まれるが、その鳴き声を遠州人は知らない。雁も遠州では稀(まれ)である。

■参考記事
・大澤寺「「遠州無杜鵑」 そういえば今年は・・・ 蕉園渉筆 六

(第7条)珍味 馬鮫魚奉楽翁候

【原文】 馬鮫魚、遠州第一珍味。大3、4尺、至6、7尺。出相良者最佳。客歳甲申冬、為醃、奉桑名老侯。謝曰、居大都会、未喫如此美味。占恡為下物。

【書き下し文】 馬鮫魚(サワラ)、遠州第一の珍味。大なること3、4尺、6、7尺に至る。相良に出るは最も佳(よ)し。客歳(かくさい)甲申冬、醃(しおづけ)に為し、桑名老侯に奉ず。謝に曰く、大都会に居て、未だ此の如き美味を喫せず。占(しめ)て、下物(したもの)と為すを恡(お)しむ。

【現代語訳】 サワラ(鰆。サバ科の海水魚。馬鮫魚(サワラ)、遠州第一の珍味である。全長90~120cmから180~210cmにもなる。(とはいえ、記録に残る最大のサワラは115cmである。)遠州の中でも相良産が最も良い。去年(文政7年)の冬、塩漬けにして、桑名老侯(松平定信)に贈った。謝辞(お礼の手紙)に「江戸に居て、未だこのような美味なる物は食べたことがない」。全て下物(したもの。酒の肴。安い魚と同等の扱い)としてしまったことが残念である」とあった。

・相良で「鰆の菰塩」と言えば、才次郎さんの「魚才」さんですネ。
http://makinohara-s.com/list/retail/uosai/
1本8000~1万円だそうなので、庶民は「鰆の菰塩」を出してくれる料亭へ。
https://www.instagram.com/p/BfgC-7WBFIH/

■参考記事
・大澤寺「相良名物は「蕉園渉筆」に 「馬鮫魚(鰆)菰塩」
・大澤寺「「瑠璃と料理の王様と」 相良波津「魚才」鰆菰塩

(第8条)松簞 松簞

【原文】 遠州松簞処々産焉。南原及小笠為佳品。余、昔、在甲州、喫産塩山者、其大且気味之深、於今夢寐。2所之種、夐不及焉。

【書き下し文】 遠州、松簞、処々に産す。南原及び小笠、佳品と為す。余、昔、甲州に在り、喫した塩山産は、其の大なること且つ気味の深さ、今於いて夢寐。2所の種、夐(はる)かに及ばず。

【現代語訳】 遠州でもマツタケ(松茸)が所々で採れる、榛原郡南原、及び、小笠郡小笠のものは良い。私は、昔(1805-1807)、田中村の代官として甲州(甲斐国)の田中陣屋(山梨県山梨市一町田中字梨ノ木)にいて、山梨県甲州市塩山産の松茸を食べたが、その大きさといい、風味の深みといい、今もまだ夢に見る。遠州の南原産松茸も小笠産松茸も、甲州の塩山産松茸には遥かに及ばない。

(第9条)河東 駿遠界

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【原文】 余、在江都日、嘗聞之、大堰河、為駿遠之界。来問。河以東、駿之島田駅而背隔河、遠之17邑入于駿中。上下小杉、上新田、余部下也。

【書き下し文】 余、江都に在る日、嘗て之を聞く。大堰河、駿遠の界と為すと。来りて問ふ。河以東、駿の島田駅にして背は河を隔ち、遠の17邑、駿中に入る。上下小杉、上新田、余り部下也。

【現代語訳】 私は、江戸にいた時、「大井川(大堰河、大猪河)が、駿河国と遠江国の国境である」と聞いた。遠江国に代官として赴いて質問した。「大井川以東は、駿河国の島田宿であって、背は大井川を隔て、(大井川の流路の変化により、大井川の西にあった)遠江国榛原郡の17ヶ村は、(大井川の東になってしまい)駿河国の中に入っている」とのことである。上下小杉、上新田など、後の宗高、上小杉、下小杉、藤守、相川、下江富、上新田、上泉、西島、吉永、利右衛門、高新田、中島、飯淵、源助新田村の15ヶ村である。


(第10条)川崎 川崎名

【原文】 川崎街、在大堰河西6里。80年前、河流此地。故有川崎之名云。

【書き下し文】 川崎町、大井川の西6里に在り。80年前、河、此の地を流る。故に川崎の名有りと云ふ。

【現代語訳】 川崎町村(現在の静波周辺)は、大井川の西6里(24km)にある。80年前、大井川はここを流れていたので「川崎」という地名が付けられたと言う。

【感想】大井川と相良の間に「川尻」「川崎」がある。河口を「尻」と呼んだり、「崎(先、前)」と呼んだり、発想が逆で面白い。
 川と川の合流点も、川上の人は(川を下っていくと別の川と落ち合うので)「落合」と呼び、川下の人は(川を上っていくと2つに分かれるので)「二俣」と呼ぶ。


(第11条)鰻鯉

【原文】 鰻、鯉、多有焉。味不美。取大堰川者、為佳。余、行部日、啗菊川所産。与都下不異。然不可多得也。

【書き下し文】 鰻、鯉は多く有り。味は美(うま)からず。大堰川で取るは佳し。余は、行部の日、菊川に産する所を啗(く)う。都下と異ならず。然し多くを得るべからざる也。

【現代語訳】 鰻や鯉は、遠州各地で多く獲れる。味は美味しくない。大井川で獲れたものは良い。
 私が歩いた日、菊川産を食べたが、これは江戸で食べた物と違わなかった。しかし、たくさんは獲れない(漁獲高が低い)。

❆菊川産鰻とは「椿ヶ淵の鰻」であろうか?

■参考
・『遠江古蹟図絵』「椿の淵の鰻」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538219/129
・『歴史探訪』「鰻昔話・椿の淵」
http://www.ochakaido.com/rekisi/mukashi/muka24-2.htm


(第12条)雪 雪為蝗患

【原文】 遠州、十数年或一雪。故、小年輩、多不知雪也。甲申冬隔16年而雪。土人曰、恐有蝗患。余怪曰、古人為豊瑞。其人曰、以明年為徴。今年果有蝗患。

【書き下し文】 遠州、十数年、或(あるい)は一雪。故、小年の輩(やから)、多く雪を知らず也。甲申冬、16年を隔てて雪。土人曰く、「蝗患(こうかん)の恐れ有り」と。余、怪しみて曰く、「古人は豊瑞とす」と。其人曰く、「明くる年を以て徴とす。今年、果たして蝗患有り」と。

【現代語訳】 遠州(遠江国)では、雪は十数年に1度降るか降らないかである。それで(まだ十数年以上生きていない)子供は雪を知らない者が多い。文政7年の冬、16年ぶりに雪が降った。ある遠州人が「蝗(イナゴ)の被害がありそうだ」と言った。私は不思議に思い、「古人(葛井諸会)は『雪は豊年の瑞(しるし、予兆、兆候)』と言っているが」と言うと、その遠州人は「兆候というのは未来(来年)の出来事に関する予感であり(「雪は豊年の瑞」であるならば、来年は豊作かも知れないが)、実際、今年はイナゴの被害があった。だから雪が降ったのだ」と言い訳した。(だったら「明年、恐有蝗患」ではなく、「今年、有蝗患」と過去形だろ。)

:「新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波(新しき 年の初めに 豊(とよ)の年 しるすとならし 雪(ゆき)の降れるは」(葛井諸会『万葉集』巻17-3925)

蝗(イナゴ):中国では、イナゴによる農作物の被害は天災とされ、天災は皇帝の不徳によるものであるから、「虫」に「皇」と書く。

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