詩会(しかい)〘名〙 詩、特に漢詩を詠んで鑑賞する会。【勉強会】
※起源は菅原道真の私塾だという。
詩宴(しえん)〘名〙 詩を詠む席。詩を詠みあう宴。【宴会】
公宴(こうえん)〘名〙 天皇主催の詩宴。⇔密宴【宴会】
内宴(ないえん/だいえん)〘名〙 正月子の日の天皇主催の詩宴。
・題者:お題を献上する人。
・序者:序文を献上する人。
・講師:添削する人。
※9月9日の「詩宴」は、費用の関係で「詩会」となったが、一条天皇の御世、詩宴に戻っている。
詩題は「酒」──お題が1つの単語ということは、和歌の「題詠」では普通ですが、詩会や詩宴では聞いたこと無いなぁ。たとえば実際に9月9日の「菊の節句」(重陽)に開かれた詩会/詩宴の詩題は「菊」でも「菊花」でもなく、「秋露如珠」「菊是爲仙草」「再吹菊花酒」であり、「秋露如珠」であれば、菊の葉の露が不老長寿の薬であった故事を知っていないと詠めない。
テーマが具体的に絞られると、参加者は(韻字は指定されるものの)詠みやすく、講師は優劣をつけやすいけど、範囲が狭いと、それ以外の事が書けず、その人の本心は掴みにくくなるので、藤原道隆は、和歌の題詠のように「酒」と一文字にしたのでしょうか。
「詩宴」として、少しお酒を飲んでから「憂政醉吟」(政治を憂い、酒を飲んで漢詩を詠む)でもいいと思うけど。
私は、以前の記事で、『光る君へ』(第6回)「二人の才女」の「詩会」について、「韻を踏んでいない藤原公任の0点の詩、というか、もはや詩ではない文字列が高く評価されたのはおかしい」と述べ、今回、「詩題が一文字なことは無いない」と批判しました。実は、『光る君へ』は、根本的に史実に反しています。「これを言っちゃあ、おしまいよ」というのは、詩会/詩宴で読む漢詩は七言絶句(7語✖4句)ではなく、七言律詩(7語✖8句)と決められており、日本独自のルールもありました。
ようするに、実際行われた自分の作った詩を発表する「詩会」とは違い、好きな詩を挙げる会なので、「漢詩の会」としたのでしょうね。当時は「詩」といえば「漢詩」のことでしたので、「詩の会」でいいんですけどね。
※以下は藤原道長の邸宅で開催された詩宴の実際です。