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『富士古文献』(『宮下文書』)

■『富士古文献』(『宮下文書』)


『富士古文献』とは、高天原宗廟天社大宮阿祖山太神宮(阿曽谷宮守神社)宮司家・宮下家に伝来した文字資料のことである。古代日本については、木や石に神代文字「阿祖山文字」「だんべー文字」(「~するべし」を高天原では「~するだんべー」と言う)で書かれていた。

だんべー文字
http://xufu.sakura.ne.jp/2018.8.26kouenkai/miyasita4.pdf

 秦の始皇帝の時代、富士高天原にやって来た徐福が編集し、紙に漢字で書いた。

徐福十二史談
http://xufu.sakura.ne.jp/14.7teirei-maeda1.pdf

次のような写本がある。

『宮下文書』:阿曽谷宮守神社宮司・宮下家に伝来した文字資料。
『徐福文書』:徐福が編集し、紙に漢字で書いた『宮下文書』。
『寒川文書』:相模国一宮・寒川神社に保管されていた『富士古文献』。

 富士山の南麓(駿河国)には「富士王朝」(富士山の噴火により埋没)があり、阿曽谷宮守神社があった富士山の北麓(甲斐国)は「高天原」と呼ばれていた。
 延暦19年(800年)4月、富士山の噴火により阿曽谷宮守神社は焼失し、神社の関係者は、初代宮司・大山守皇子(応神天皇の第二皇子)の旧領・相模国高座郡早乙女郷岡田原(神奈川県高座郡寒川町宮山)に移住し、その地に流れていた河川名を、高天原を流れていた「寒川」にちなみ、「寒川」と命名し、富士山東本宮・寒川神社を建てて「里宮」と称した。この「里宮」が、現在の「相模国一宮・寒川神社」である。
 源頼義のひ孫・三浦義顕の長男・三浦義仁は、宮下家に婿入りして(宮下政仁の婿養子となり)宮下義仁と名乗った。(この時、三浦家の家紋「三つ引き両」が宮下家の裏家紋になった。また、彼の長男・宮下義国は、三浦義澄の娘を娶った。)宮下義仁は、相模国一宮・寒川神社で『富士古文献』を発見し、書き写して保管したのが『寒川文書』である。(寒川神社に保管されていた『富士古文献』は弘安5年(1282年)5月13日の馬入川の氾濫で、宝蔵もろとも流失した。)

 『富士古文献』は114巻(本ではなく巻物)からなる古文書群である。(記事トップの写真は『開闢神代歴代記 蘇我氏・武部氏・栄日子氏 三家世代記』です。)徐福が編集した『開闢神代暦代記』の古代日本の富士王朝の部分のみが着目され、正史『日本書記』の内容と異なるので偽書とされている(記紀の神々が登場するが、記紀とは登場順や役割が異なる)。


■参考文献


■原本

・『神伝富士古文献大成』全7巻+別冊付録(八幡書店)

■ダイジェスト
・三輪義熙『富士古文書資料 神皇記』:復刻版あり
・神奈川徐福研究会・神皇紀刊行部会 『現代語訳 神皇紀』
・岩間尹『開闢神代暦代記』(三浦一族会)1972

https://note.com/ai_auwa/n/n6172e92d5f63

■TOLAND VLOG『内容紹介・宮下文書』


【宮下文書】記紀には一切記されない〝富士王朝〟(2022/08/04)

【宮下文書】日本人は〇〇大陸から移動してきた!?(2022/08/05)

【宮下文書】歴史がひっくり返る〝スサノオ〟の正体!(2022/08/10)

【宮下文書】あまりにもリアル過ぎる!?(2022/08/11)

〝中国神話〟は何故、ここまで無視されたのか?衝撃の天地開闢エピソードがヤバすぎる!!

【中国神話】神々は日本を目指していた!?伏羲のルーツと神農のその後がヤバすぎる!!

【宮下文書】幻の富士文献に記されたウガヤフキアエズ王朝(2022/08/31)

【宮下文書】反乱によって滅ぼされる富士王朝の末路が悲惨(2022/09/01)

■TOLAND VLOG『内容考察・宮下文書』

【超考察】宮下文書は何故、公開されたのか(2022/09/07)

【超考察】世界の謎は宮下文書に隠されていた?(2022/09/09)

【超考察】偽書と言われる「宮下文書」(2022/10/28)

【超考察】宮下文書に隠された驚くべき矛盾が(2022/10/29)


■徐福とモーゼ


 徐福は、秦の始皇帝の圧制に耐えかね、「不老不死の仙薬(1本を以って1000人を蘇生できる「不死草」)を探しに行く」と嘘をつき、多くの人々を連れて神国・日本へ渡った。後に、この人々は「秦氏」と名乗り、日本各地に中国の最新技術を伝えた。

福地山中央高天原阿曽谷大室中室和、福地姓之者、七分秦姓之者三分。福地姓和、神代之天都神々之末孫也。秦姓和、秦国時利渡利来留五百余人之末孫也。(後略)

(福地(富士)山の中央、高天原の阿曽谷、大室、中室は、福地(ふじ)姓の者が7割、秦(はた)姓の者が3割である。福地姓は、神代の天津神々の子孫である。秦姓は、秦国から渡って来た500余人の子孫である。)

『富士古文献』(秦福壽(徐福7世孫)1192 年)

 この話を聞いて、モーゼを思い出すのは私だけ?(日本を神国とするのは、「本来は中国が神国であるが、そうではなくなってしまった」という始皇帝の政治へのあてつけであろう。)
 不老不死の仙薬の原料は「天台烏薬」(てんだいうやく。中国の中南部を原産とするクスノキ科の常緑低木。「自生地」だと主張している場所もあるが、享保年間(1716-1735)に中国から伝来したとされる)だというが、富士(不二、不死。「宮下文書」では福地)では、「肉蓯蓉(にくじゅよう)、通称「御肉(おにく)」とされる。肉蓯蓉(ハマウツボ科のホンオニク)は、中国や中央アジアなど砂漠地帯に生息し、他の植物の根に寄生する植物で、野馬の精液が地に落ちて生ずると考えられていた。富士山では、五合目付近のミヤマハンノキの根に寄生している。


■「宮下文書」と政治家、そして私


 元総理と統一教会との関係、その元総理の奥様と「宮下文書」との関係は、名を貸して票を得ているだけだと思いたいが、教科書に日本神話についての記述が復活したのは、歴史学者のプッシュというよりも、政治家のプッシュのように思われる。

 『富士古文献』は、徐福の子孫が書き継ぎ、現存するのは114巻である。徐福が書いた「徐福十二史談」が偽書だとしても、徐福の子孫が南朝について書いた巻も偽書であろうか?

 『富士古文献』の研究者であれば、『神伝富士古文献大成』に載っている114巻を全て読んでいるであろうが、『富士古文献』について語っている人のほとんどは、『開闢神代暦代記』の解説書『神皇紀』を読んで、富士王朝について語っているだけの気がする。このため、
『富士古文献』=富士王朝=偽書
という公式が出来上がっており、『富士古文献』を読む南朝研究者は少ないのではないか?
 『富士古文献』の研究が進まない理由は、『富士古文献』114巻が全て掲載されているのが『神伝富士古文献大成』のみで、その『神伝富士古文献大成』が、
①1セット(全7巻+付録)で14万円と高価
②翻刻でも、現代語訳でもなく、影印本(現物の写真)
であることによろう。せっかく14万円出して買ったのに、「読めない」として売る方もおられるようである。とはいえ、古本市場に出ることは珍しい。しかし、出れば、状態により15000~40000円で、10万円以上お得である。
 お得とはいえ、貧乏人の私には、サポートが無ければ、手を出せない。クリスマスプレゼントは終了したので、お年玉(サポート)希望です m(_ _)m
 そもそも私が読みたいのは、富士王朝の話ではなく、南朝の話(松平元康が「得川」を名乗ろうとしたら、却下されたので「徳川」という新しい姓を創造して名乗った話。南朝の「二心無き八将」の1人でありながら、江戸時代の井伊氏系図から除外された「徳川四天王」井伊直政の祖先・井伊道政の話など)なので、実は『神伝富士古文献大成』を買わなくても、南朝の話が書かれているページだけコピーすればOKなのです。

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