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瀬名姫(徳川家康の正室)の生涯

★この記事には、今後の『どうする家康』のネタばれが含まれています。

──瀬名姫(本名「鶴姫」。後の「築山殿」)は、悪女か、聖女か?

後に徳川家康によって殺される。徳川史観(徳川家康は神であり、正しいことしかしないという歴史観)では、「殺されても仕方のない悪女」であり、その理由として、
・周囲の人間に辛くあたった。
・離婚後、織田信長の命を狙った。
・息子・徳川信康をたぶらかして武田方に寝返らせた。
などをあげている。
 私は「悪女ではないが、①今川一門だというプライドが高く、②都会人であり、田舎を見下していた」であって、徳川家康にしても、「トロフィーガールに過ぎず、鶴姫より亀姫(椿が好きな椿姫。後の女城主・於田鶴)の方が好きだった」と思う。ところが、『どうする家康』の瀬名姫は、プライドが高くなく、三河者にも優しい聖女であり、徳川家康が彼女を殺す理由が見あたらない。(徳川史観に基づいて「織田信長に命令されたので仕方なく殺した」となるのか?)


築山殿の死に際には諸説あって分からない。
説①小藪(浜松市中区富塚町)で自害した。
説②小藪(浜松市中区富塚町)で槍で刺し殺された。
説③西来院(浜松市中区広沢2丁目)で出家させられたが、自害した。
説④三ツ山での花見の時、自害を命じられ、野中重政が介錯した。
※徳川信康の自害では村正、野中重政の介錯には貞宗が使われた。

 堀江為清┬堀江清泰─堀江新右衛門信忠【堀江氏】
     ├中安豊種┬中安康勝【中安氏】
     │    ├野中重政─重次─友重【水戸野中氏】
     │    └重康
     └遠藤景誠─遠藤景盛【遠藤氏】

 野中重政が介錯した2尺3寸の相州貞宗に付いた血を洗ったので濁ってしまったという「太刀洗いの池」は、湿地帯(「日本一汚い川」として有名になった御前谷川の河口)となっていたのを埋め立てて「浜松医療センター」(「県西部浜松医療センター」から平成23年(2011年)4月1日に改称。静岡県浜松市中区富塚町御前谷)の駐車場とした。石碑と案内板があるはずであるが、現在、最先端医療を備える新病院の建設中で、見ることはできない。
 なお、墓(胴塚)も御前谷にあったが、延宝6年(1678年)の百回忌大法要(水戸藩士・野中友重(野中重政の孫)らが参列)の時、西来院に超豪華な廟が建てられ、移葬された。(現在の廟は、戦後に某女性の寄付金で再建したもの。)法要を行うと「太刀洗いの池」の水が澄んだので、諡号は「清池院殿」に決められた。首塚は岡崎市にある。

https://www.hmedc.or.jp/news/20201008parking/
https://hellonavi.jp/detail/page/detail/1232
https://bunbun.hatenablog.com/entry/tachiarainoike



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