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【秋葉信仰補足】徳川信康、3つの生存説

1.山奥の美男美女


秋葉茶屋のウエイター&ウエイトレスが美男&美女でおったまげた。
街中のカフェでもまず見ない。
私と同じことを感じた人がいた。
 ──江戸時代の絵師・司馬江漢である。
彼は、歩荷(ぼっか)の女性が美しいことに気づいた。「馬子にも衣装」ならぬ「歩荷にも衣装」で、それなりの服を着せ、化粧させれば美人になるという。絵師が言うのであるから、間違いなく美人だったのであろう。

■司馬江漢『江漢西遊日記』
 此処(ここ)まで来る路より人を雇ひ、荷物を持たせしに、22、3の女なり。額にて背負ふなり。顔色を見れば相応に見え、衣装を好くし、化粧するならば美人とも云へしが、斯かる山家(やまが)に産まれて、斯かる業(わざ)をする事かなと感じてけれ。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1194191/30

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■歩荷:荷物運びの人夫。大野宿(豊川を挟んで鳳来寺の対岸)の大野女が有名。上の絵では直接背負っているが、普通は荷物を背負子(しょいこ)に固定してから背負う。とは言え、『江漢西遊日記』には「額にて背負ふなり」とある。軽い荷物であれば、京都の大原女のように、頭に乗せて運んだのであろう。

 秋葉茶屋の給仕さん、司馬江漢が雇った歩荷さんがどこの生まれなのかは知らないが、

 ──瀬尻女に平山男、竹を鉋でかけたよう。

と言う。秋葉神社の新・奥之院がある上平山と下平山には気品あふれる美男、天竜川を挟んで対岸の瀬尻には気品あふれる美女が多く、秋葉詣での旅人たちが、「こんな山奥になぜ?」と驚いたという。一説に、この方々は、平家や南朝方の落人であり、高貴な武家(平家)や公家(南朝)の血を引くから、竹のように凛とした美男&美女なのだという。

 さて、徳川信康(松平信康)の生存説は3つあり、その内の1つが秋葉大社と関係している。

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