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江間氏の謎

「江間」(古代の依馬郷、田方郡江馬庄)といえば、苺、いや、江間/江馬氏の本貫地だろ。

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※「江間いちご狩りセンター」(静岡県伊豆の国市北江間)
https://ema-ichigo.com/

「江間氏の謎」というのは、「江間氏の始祖は誰か?」という謎で、私は以前の記事に書いたように、レタスを食べながら解いてしまったので(笑)、この記事では、謎の整理です。

★江間氏の始祖
説①江間小四郎近末:『鎌倉殿の13人』では江間次郎。江馬小次郎の父。
説②江間小四郎義時:後の北条義時。「江間太郎」とは北条泰時のこと。
説③江馬小四郎輝経:北条時政の妾(平経盛の妾)の連れ子。
説④江間義光:北条義時の孫(北条義時の次男・江間遠江守朝時の子)。
説⑤江馬遠江守光時、江馬孫四郎政俊:北条義時の弟・北条時房の子孫。

・北条義時の長男=江間太郎頼時 →北条頼時(源頼朝の死後「泰時」)
・北条義時の次男=江間遠江守朝時→名越朝時

伊東八重:源頼朝との間に千鶴丸(後の源忠頼)を儲けるが、父・伊東祐親によって江間小四郎近末と結婚させられ、江馬小次郎を儲けた。江間小四郎近末が討死すると、源頼朝に呼び戻され、千葉氏庶流相馬氏初代当主・相馬師胤(師常。千葉常胤の子)に再嫁した。

 現在、全国で江間さんが最も多く住んでおられるのは、静岡県伊豆の国市ではなく、断トツで静岡県浜松市である。(浜松市本貫地説もあるが、浜松市には「江間」はない。似た地名としては『和名類聚抄』の「尾間/海間郷」がある。)

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