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藤原道綱【人物評】

 藤原道綱は、藤原兼家と、『蜻蛉日記』の作者(藤原倫寧の娘)との子で、藤原道長の11歳年上の異母兄になります。

        藤原中正の娘(ドラマでは藤原時子)(?-980):正室
         ┣長男・道隆(953-995)
         ┣長女・超子(954?-982)
         ┣三男・道兼(961-995)
         ┣三女・詮子(962-1002)   
         ┣五男:藤原道長(966-1028)
       藤原兼家(929-990)
         ┣次男・藤原道綱(955-1020)
        藤原倫寧の娘(ドラマでは藤原寧子)(936?-995):

 藤原道綱の人物評については『ウィキペディア(Wikipedia)』に3つ載せられています。便宜上、①②③と番号付けをしました。

①官途における競争相手であった藤原実資は道綱のことを「一文不通の人(何も知らない奴)」「40代になっても自分の名前に使われている漢字しか読めなかった」などと記している。父や兄弟に見られるような政治的才能や、母のような文学的素養はなかったと伝えられている。

②母が著した『蜻蛉日記』における道綱に関する記述は、母から見ても「大人し過ぎるおっとりとした性格である」と記されているが、弓の名手であり、宮中の弓試合で少年時代の道綱の活躍により旗色が悪かった右方を引き分けに持ち込んだという逸話が書かれている。

③勅撰歌人として『後拾遺和歌集』、『詞花和歌集』、『新勅撰和歌集』、『玉葉和歌集』、に各1首づつの計4首が入集している。また、『和泉式部集』に和泉式部と歌の贈答が見えるが、そこで和泉式部は道綱のことを「あわれを知れる人」と詠んでおり、道綱に対して好感を持っていた様子が窺われる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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