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今日は七夕。尾張の語源は小蓬莱!?

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「歴史的資源の豆知識 【熱田神宮と蓬莱島(ほうらいじま)】
 蓬莱島とは、中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み不老不死の地といわれる所。熱田神宮を蓬莱島とみる伝承は、すでに平安時代からある。わが国における蓬莱島伝承は各所にあるが、多くは秦の始皇帝と徐福の 伝説であるが、熱田ではもっぱら玄宗と楊貴妃のことが語られている。玄宗が日本を攻め取らんとしたとき、 熱田明神が美女と成って玄宗の心を迷わせたとするのである。伊勢湾奥の鎮守の森を蓬莱島の聖地とする基盤のうえに、日本武 尊(やまとたけるのみこと)が川上梟師(かわかみのたける)を女装して討ったことが附会されたのであろう。近世にはこのことはよく知 られ、「玄宗は尾張言葉にたらされる」などの川柳にもなっている。名古屋を蓬左というのは、京都からみ て、熱田の左に位置するからである。また蓬莱島は亀の甲の上にあるということから、熱田神宮周辺の寺院 は、山号に亀の字のつくところが多い。 (「名古屋の史跡と文化財(新訂版)(平成 3 年)」などより)」(名古屋市)

「『熱田神宮の伝説と名所』p.80に熱田神宮の蓬莱伝説に関する列品解説があり、「海道記」や「熱田宮秘釈見聞」が紹介されています。また、『熱田神宮史料 地誌編』p.289-291には「蓬莱島之説」の翻刻があります。同書の解説によると、この史料は天保12年11月に小田切春江が熱田の蓬莱伝説に関する諸文献より関係記事を集め取り纏めたもので、林羅山の「本朝神社考」もその一つとして挙げられています。
 なお、『日本の神々 第10巻』p.20には、熱田神宮を「蓬莱」とみる初見は寛弘年間(1004-1012)成立の尾張守大江匡衡の『江吏部集』だとあります。また、同書には“「小蓬莱」と書いて「おわり」と読ませたり、名古屋が京都から見て熱田の左にあたることから名古屋が「蓬左」、名古屋城が「蓬左城」と呼ばれたりもした。ちなみに、「蓬左」の初見は、芭蕉の『阿羅野』(元禄二年〔1689〕)である”とも書かれています。」(名古屋市鶴舞中央図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000226433

「蓬莱山=断夫山」より、「蓬莱山=富士山」であって、輝夜姫のイメージが強いな。


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