見出し画像

青い鳥の美学

夢中になっていたネトゲに飽きたことがある。
学生だったので課金とかはしないものの、結構な時間を費やしていた。チームに入ってメンバーと交流したり、難関クエストに挑戦したり、当時は結構楽しんでいたつもりだった。

ある日、本当に何の前触れもなくぷつりと熱が途切れた。もういいやと思ったままにチームのメンバーに挨拶もせずアカウントを消したのは、今思うと失礼だったかもしれない。それでも架空の冒険に嵌って引きこもりになる人すらいる時代で、抜け出せたのは良いことだったのかもしれない。それが生きる礎になっては変化など訪れない。

その波が、再び迫っている気がする。今度はその兆しを感じている。
何かに情熱を注ぎたいと願いながらも叶わない日々を何年過ごしたか。SNSとサブスクにとりあえず浸りながら微妙な生活をしてきた中で、「本が読みたい」と思っていた。学生の頃には毎日のように図書館に足を運んでは何冊も借りて、毎日新しい物語を読んでいた。
今だって別に読めばいいわけだが、まともに活字を読まなくなってから読書をする集中力が保てなくなっていたので、買っては積み上げる日々。片付けが苦手だから、部屋のあちこちに本当に積んでる。物語に没入する日がまた来るのだろうかと、ぼんやりした不安を抱えていた。

そんな日常に亀裂が入ったのは、映画を見たことが原因だ。
児童文学の御大、はやみねかおる先生原作の「怪盗クイーンはサーカスがお好き」が二十年の時を経て映画化すると聞いて、かつて青い鳥文庫を愛読書としていた少年少女は沸き立った。立場を同じくする私もひっそりと喜び、時間を見つけて映画館へ足を運んだ。

はやみね先生は、物語の世界に誘うことを「赤い夢へようこそ」と言う。映画はその言葉すら忘れていた我々にも夢を見せてくれる作品に仕上がっていた。かつて本を読むことに注いでいた情熱が呼び覚まされるのを感じた。物語の世界に漕ぎ出して、輪郭の確かな夢を見ているような感覚がまだ自分の中にあると知った。

見終えてからすぐに、長いこと連絡を取っていなかった、本の好みが似ている友人にメッセージを送った。この興奮をかつて同じように物語の世界を好んだ人に共有したくて仕方がなかった。
結構早く返事をくれた流れでしばらく言葉を交わす中、ぽつりと「本読めてないなあ」と零したのは友人だった。
「昔はあんなに読んでたのに、焦るよね」
「またハマっていけるかな」
不安な気持ちを抱えているのが自分だけではないと知ることが、こんなに安心できるなんて思わなかった。
「少しずつ読んでいこう。それを時々報告しよう」
その言葉を大事に生きていきたいと思った。

そのまま本屋の児童書コーナーに行って、怪盗クイーンシリーズのうち2冊だけ買ってみた。大好きだったはやみね先生の本からまた文章を追うようになれるなら、人生の中で結構な思い出になるだろう。

次の日、買った本を開いて読んでみた。
すんなり読み終えて、気持ちよく目が覚めたような気分になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?