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生成AIについての独り言を晒してゆくスタイル④

2024年7月20日。

私自身、生成AI・AI関連擁護派なのかAI規制派(反AI)か、なんだか自分でどっちかわからない。

そう思った、そう感じたことが最近ありました。

まあAI関連情報を日々Xやnoteで発信しているので、前者だとは思うんですけど、結局「それぞれ個が好きなもの」によって変わって来るのかなと。

例えば、私の場合、AI松田優作のCMが最近出ています(正確にはCG+音声がAIらしいですが)が、私は相当の松田優作好きなので、正直「なんだこのAI松田優作って。ダメダメ、ないない」という思いになってしまいます。

美由紀夫人は全く反対していない様子だし、それで私はというと自分自身、勝手だなぁと(苦笑)

生成AI・AI技術を面白いとしているわりには勝手だなと。

同時に思ったのが、あれ?これって数年前に紅白で登場したAI美空ひばりにおいても同じなのかなーと。

彼女のファン層からすると、全てが全てじゃないとは思いますが、否定派のほうが多いのではないかと思います。

つまり、生成AIとかAI関連において、自分が好きなものを扱われると好意的・建設的な意見ではなく、批判的になり、自分が好きじゃない・特に関係ないものが対象となる場合は、特に関心なし・わりとどうでもいい・(あるいは)何かシャクだからとりあえず叩きたい、といった感じなんですかね。

特に、AI技術が進化し、歴史的な人物や文化的なアイコンが再現されることが増えると、このような感情的な反応は避けられないものなのかなーという感じがします。

自分が愛する人物や文化がAIによって再現されると、その再現がオリジナルの価値や尊厳を損なうと感じる→これにより、AI技術に対して批判的な立場になることがあります。

AI技術の進化は確かに素晴らしいものですが、その利用方法には倫理的な配慮が必要です。

特に故人のイメージや声を再現する場合、その人やその遺族、ファンの感情に対する配慮が欠かせません。

AIが再現するコンテクストが適切かどうか、またその文化的価値を理解し尊重しているかどうかが重要で、無作為な再現は批判を招くことがあります。

AI技術に対する賛否は、その人の関心や立場によって大きく異なり、好きなものがAIによって扱われると批判的になる一方で、関心が薄いものについては寛容な態度をとることが一般的…

つまり、自分の立場がどちらか分からないと感じることは自然なことであり、むしろAI技術に対する複雑な感情を持つことはある意味普通なのかなーと。

重要なのは、これらの感情を認識しつつも、技術の進化とその利用に対するバランスの取れた視点を持つことです。

AI技術が社会に与える影響を理解し、そのポジティブな面とネガティブな面の両方を考慮しながら、建設的な議論を進めていくことが求められます。

ちなみに私自身、こと画像生成AIは単純に面白いと思って日々触っていますが、いわゆる反AI派の人々がAI技術、特に画像生成AIに対して抱く懸念や不満にはいくつかの主要な要素があると思っています。

まず、仕事の喪失。

AI技術が進化することで、特定の職業やスキルが不要になるという懸念があります。特にクリエイティブな分野では、以下のような具体的な影響が指摘されています。

画像生成AIが高品質なイラストやデザインを短時間で生成できるため、人間の絵師やデザイナーの仕事が減少する可能性があります。実際に、一部の絵師やフリーランスデザイナーが仕事を失ったとの声も聞かれます。

次に、創造性とオリジナリティの問題。

AIが生成する画像やコンテンツには、人間の創造性やオリジナリティが欠けると感じる人もいます。

ここは思うに、独自性の欠如表現の深みが、特に批判されているかなと。

独自性の欠如
→AIが過去のデータを基に生成するため、完全に新しいアイデアやスタイルの創出が難しいという意見があります。

表現の深み
→人間のアーティストが持つ感情や個人的な経験を反映した表現力が、AIには欠けていると感じる人が多いです。

次に、盗作著作権侵害

AIが大量の既存画像を学習素材として使用することにより、著作権侵害や盗作の問題が指摘されています。

AIが学習するために使用するデータが、無断で取得されたものであることが多く、アーティストの権利が侵害されるという懸念があります。(無断使用)

AIが生成した画像がオリジナルの作品と非常に似ている場合、盗作と認識される可能性があり、法的問題が生じることもあるでしょう。

次に、倫理的問題責任

AIの利用に伴う倫理的問題や責任の所在についても、多くの懸念が存在します。

例えば、AIが学習するデータにバイアスが含まれている場合、そのバイアスが生成されたコンテンツにも反映され、社会的な問題を引き起こす可能性があります。

また、AIが生成したコンテンツに問題があった場合、その責任が誰にあるのか(AI開発者、ユーザー、プラットフォームなど)が不明確であることが、懸念されます。

そして、技術の透明性制御

これは、AI技術の透明性や制御に関する懸念もあるということです。

個人的には、ブラックボックス問題というか、AIシステムがどのように決定を下しているのかが不透明であるため、その判断プロセスが理解しにくいという問題があります。これにより、AIの利用に対する信頼が損なわれることがあります。

制御というのは正しくは制御の困難さということです。一度AIが導入されると、そのシステムを制御し続けることが難しく、予期しない結果や行動が発生するリスクがあります。

と、いわゆる反AI派がAI技術に対して抱く不満や懸念は多岐にわたります。

特に画像生成AIに関しては、つらつらと今挙げたように仕事の喪失、創造性の欠如、盗作や著作権侵害、倫理的問題、技術の透明性と制御の問題などが大きな課題として挙げられます。

これらの懸念に対処するためには、技術の開発と利用において、倫理的なガイドラインや法的枠組みを整備し、透明性と責任を持った運用が求められます。

これらの視点を理解することで、AI技術に対するバランスの取れた見解を持ち、はじめてまともに建設的な議論を進めることができるのではないかと考えています。

とまあ、生成AIやAI技術に対する賛否両論は、私たちが直面する現代の大きなテーマの一つだとは思っています。

AI技術がもたらす可能性とリスクを冷静に見極めながら、自分自身の感情や価値観を理解することが重要だなーと。

AIがどのように社会に影響を与えるのか、その未来を見据えた議論が必要です。

綺麗ごとかも知れませんが、最終的に、生成AIやAI技術がもたらす変化に対して、私たちは柔軟かつ批判的な視点を持ちながら、共に進化していくことが求められるのではないかと。

技術の進歩を歓迎しつつも、その利用においては、倫理的な配慮と透明性が不可欠ではあります。


P.S.
最近、画像生成AI用のモデルを研究・構築したりもしてます。
ただ、諸々の観点からモデルファイル・データとして販売という形ではなく、やってもCivitaiないしHugging Faceで共有かなーと。(でもまだトレーニング~ブラッシュアップしなとです)


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