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「細かいルールと交渉、交渉、交渉でした」

こんにちは、インタビューよろしくお願いします。
このインタビューは10人の京大生から学ぶ、実録!子育て記録という特集を考えていて、全国のママさんの参考になればと思い作成しています。どうぞよろしくお願いします。

早速なんですが、京都大学への動機について教えてください。

高校高校一年生の頃は名古屋大学を志望していました。2年生の5月頃かな。なんとなく、自分自身のことを考える瞬間がありました。当時、実は友達がいなかったんです。(笑)自分自身、部活もなにもがんばれていないとふと気づきました。無性にそんな自分が嫌だと感じました。もう時期が時期でもあったので、勉強しか頑張れるもの、自分が納得できるものがないと感じ、京都大学に入学できたら自分を納得させられるんじゃないか!そんな動機でしたね。

面白い!ふとした瞬間の気づきが、動機だったんですね!案外そんなものかも知れないですね。では、具体的にどういった受験勉強をいつからしていったのですか?

受験勉強を始めたー!といえるのは、高2の10月からですね。それまではテスト直前にしていただけでしたが、1日1時間から毎日勉強すると決めました。英語の単語、文法、古文単語を必ず毎日やることからはじめました。

さらっとすごいですね。毎日やるって決めても中々できないものです。キッカケはあったのですか?

毎日やると決められたのは、10月の修学旅行が終わってからは受験勉強だよ!という学校の雰囲気はありましたね。

学校の雰囲気...やはり環境は左右しますよね。塾や予備校には通っていましたか?

小6〜高校1年生は週1回で、高2からは週2回英会話に通っていました。そのおかげで英語だけはずっと成績が良かったです。高校3年生の4月からは駿台予備校に通いました。

得意な科目が一つでもあると、勉強への自己肯定感があがりますもんね。そういう意味でも良い環境になっていったのかもしれませんね。ちなみに、学力の推移はいかがでしたか?

高1当初は順位が230/400程度でした。その後180位→130位と順当に伸びましたね。課題と定期テストの取り組みがよくなりました。高2で文理選択があり、文系を選択しました。30/180が最初で、10月には20/180になりました。ただ、これ以上伸ばすことに限界を感じ、定期テスト前の学習だけではなく、受験を見据えた習慣をつくろうと考えました。高3の4月に京大マークE判定、記述D判定でしたが、8月にはマークD判定、記述C判定に。11月の京大模試では、どちらもA判定になれました。

すごいですね、一度も落ちたり停滞することなく見事に右肩上がり。伸ばしていった受験対策の方法も教えてください。また、下がらないための勉強へのモチベーションの保ち方などもあれば教えてください。

10月〜3月が毎日単語で基礎を固めて、4月から駿台予備校で国語と数学を履修したというところですね。勉強へのモチベーションは、部活で悔しいという気持ちが根底にありましたね。吹奏楽部だったのですが、上手くなった人はソロを吹くのですが、自分は楽器に向き合えない不完全燃焼さがありました。その悔しさを勉強ならばとモチベーションを向けた感覚ですね。高1の最初のテストから毎回上がっていったので、やれば確実に上がる感覚が楽しくもありました。

ありがとうございます。やはり勉強だけではなく、色んなところにモチベーションのキッカケはあり、モチベーションの維持には結果が伴うということが関係しているんですね。

それではいよいよ、本題に入って行きたいと思います。
学習環境について教えてください。昨今問題にもなっているゲームやスマホについては家庭で決まりや制約など有りましたか?

ゲームは小学生の頃、1日30分と決まっていました。テレビは母親がバラエティを嫌っていて観ていなかったです。小4でゲーム機を没収されたので、ゲームをやる環境はなかったですね。その頃は毎日20時頃には寝ていました。環境という面では、家に帰ったら手を洗うと宿題をすることが小学校1年生の頃から決まっていたので、疑うことがなかったですね。宿題が終わればおやつが食べられる習慣がありました。
スマホについてですが、ipod touchを部活のメンバーは10人中9人が持っていました。親は買い与えたくない言ってました。そこで、テストで5教科全部90点を超えることを条件に買ってもらえるように交渉しました。そのときは買ってもらえたのですが
、その後点数が落ちたので没収されました(笑)。LINEも禁止されていたので、できるのはパズドラ(パズル型のゲーム)ぐらいでした。テストがダメなら半年没収。テストでクリアしたら2週間は使えるが、また没収、そして交渉の繰り返しでしたね。

ゲームとか、スマホとの関わりて現代の家族の命題のような感じがしますね。交渉交渉っていうところが家庭環境が見えてくるように感じます。少し先程の話にもできてましたが、部活などはどうしていましたか?練習頻度とか。

中学は野球部でした。週6で土日も一日中部活。月曜は休みという感じでしたね。高校で始めた吹奏楽部も毎日部活があって、月に1日休みがあるという感じでした。ただ、学校に定時制のクラスがあったので、18時には下校していました。

結構しっかりと部活をやられていたんですね。まさに文武両道って感じですね。下校してからも目的と習慣があれば勉強できるということが、よくわかりました。

次に、読者の方がイメージしやすいように家庭観葉について教えてください。どういった家族構成ですか?

両親と弟、妹の5人家族です。弟は東京農工大学の1年生で、妹は中学3年生です。

自分の部屋はありましたか?

中1まではありませんでした。みんながいるリビングで勉強するリビング学習でしたね。またもやなんですが、中2のときに父と一緒に交渉して部屋を与えてもらいました。(笑)

リビングで習慣がついてから部屋を与えてもらったのが、よかったのかもしれませんね。両親には、気軽に相談できる関係でしたか?

相談というか、交渉って感じですね。(笑)LINEをやっていいかも、交渉でした。テストで3回連続5番以内ならOKというルールがありましたね。漫画も交渉でした。小学生まで購入も禁止されていました。少し話は逸れるのですが、漫画の禁止で弟は漫画依存みたくなって、勝手に買い込み部屋に隠していました。(笑)家族会議が開かれて、月一冊は購入OKみたいな細かいルールができました。すぐに守られなくなったので、途中から自由にしていいよとなったところから漫画の買い込みがなくなっていきましたね。

制約と依存ってなんだか、リアルな話ですね。ありがとうございます。
最後に、両親との関係について教えてください。当時、辛かったことはありましたか?

母が小学校教師で産まれるときに退職しました。低学年のときは宿題の習慣はよかったのですが、中学生ぐらいからウザかったです。具体的には読書感想文。3回も欠かされました。父親はいちいち真面目な話をしたがる人で、その雰囲気は辛かったです。読書感想文父親も読んで、ダメ出し。再提出を求められたりしました。(笑)全体的には、細かなルールが厳しいのが辛かったですね。

素敵なご両親ですね。今、両親に伝えたい感謝していることはありますか?

お父さんもお母さんもめちゃくちゃ時間を使ってくれました。お父さんは、仕事から帰ってきてから、野球を一緒にやってくれました。小1〜中3まで13冊も交換ノートがあります。いっぱい時間を一緒に過ごせたことに感謝しています。
森井優三(偽名 )出身 静岡県
京都大学法学部2回生 (19)男 
※取材当時

最後までご覧頂き誠にありがとうございます。マナビノバという学習塾を京都で運営しています。マナビノバは、勉強した先がみえる塾というコンセプトの基、大学生のプロジェクト学習と小中高校生の学習塾を同一空間で開校している塾です。2011年の創業以来、数多くの家庭をサポートさせていただいてきました。また、京都という立地上、京都大学の講師が多数在籍してくれています。講師の京大生に話を聞いてみると、子育てのヒントが沢山あり、今回このような企画を実施しました。

また、コロナで学校休校に伴い、マナビノバも休校し、オンライン授業を実施しました。慣れない環境でしたが、保護者様はじめ、生徒、講師の協力もあり見事オンライン授業に移行することができました。

マナビノバは6月より、通塾可能としましたが、オンラインでのノウハウができましたので、全国で困っている方に、マナビノバが少しでもサポートできればと、オンライン家庭教室のサービスを始めます。ネット環境さえあれば、個別の授業を家庭で受けることができるようになりました。どうぞお気軽にお問い合わせください。マナビノバオンライン家庭教室はこちら


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