【考察】シンエヴァのあのラストは何を意味していたのか
あいさつ
はじめまして。私は最近ヱヴァンゲリヲン新劇場版の考察をしているしゅりりんという者です。
3月8日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が公開されてから毎日のようにエヴァについてあれこれ考えています。
とはいえエヴァは非常に難解でいくら考えても答えが出ません。
3月27日には3回目の観賞をしてきましたがそれでも謎は残ったままです。
この残った謎について私なりの考えを公開する場所が欲しかったので最初はYouTubeに動画を投稿しようとした(実際に1本動画は投稿した)のですが、いかんせんコストが高いので文章でも公開出来ればと思い、noteに目をつけました。
本当は第11の使徒を考察しようとしたのですがイマイチまとまらなかったので、今回はあの終わり方について考察しました。
注意
この記事は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』のネタバレを含んでおります。
ネタバレを見たくない方は記事を閉じることをオススメします。
あの終わり方
単刀直入に言うとあの最後に出てきた『宇部新川駅』は私たちが住む現実世界です。
アニメじゃないということです。
そんなこと言われなくてもわかってるよという方もいらっしゃるとは思いますが、私は3回観てもわからなかったのでこの結論に辿り着くことは自分の中では中々難しかったと思ってます。
何せ旧劇の終わり方が私たちの世界とはかけ離れていたため、エヴァでこういう終わり方にするという発想が私にはありませんでした。
そして駅に座っていたシンジ君は男性の視聴者を表しています。
私たち(男性視聴者)はアディショナルインパクトで世界をエヴァの無い世界、つまり今の私たちの世界に書き換えたことにより記憶を失ってしまいました。
そして心の中ではずっと誰かを待ち続けているのですがその人は現れず、段々と薄れて白黒になっていきました。
ですが駅にずっと待っていた女性が現れて世界に色が戻りました。
その女性がマリなのです。
マリが迎えに行くと言っていたのは書き変わった世界でもシンジのことを見つけて迎えに行くという意味だったのです。
これを1回観ただけで理解できた人は何を当たり前のことを言ってるんだ?と思うかもしれません。
確かにこの手の話は他の作品でも似たようなのがありそうだからです。
ですが私は上にも書いたようにエヴァでそういう流れに持っていくという発想がありませんでした。
第三村とかどうなっちゃったんだろう、とかそういう疑問点の方が大きかったですし。
現実世界のシンジとは
現実世界のシンジとは私たち男性視聴者という話をしましたが、更に限定して言うと28歳の男性です。
青年のシンジの声優は神木隆之介さんがやられてますが、神木隆之介さんは28歳とのことです。
そしてシンジは14歳でエヴァに乗ってシンの時は28歳です。
なので駅にいたシンジは28歳と考えるのが一番しっくりくると思います。
では何故これが28歳の視聴者を指してるかというと、序が公開されたのが2007年。つまり2021年の14年前ということになります。
2007年に14歳だった人は28歳になってるのです。2007年にシンジと同い年だった人は2021年でもシンジと同い年です。
庵野監督は若者にエヴァを観て欲しかったらしいので、これは狙ってると思います。
当時自分とシンジを重ねていた人たちは14年後でも自分とシンジを重ねることが出来るのです。
私たちは今は平凡な人生を送っていますが、別世界ではアディショナルインパクトを起こして記憶を失くしたシンジだったかもしれないのです。
そしていつかはマリのような胸の大きい良い女が迎えに来てくれる!
なのでめげずに生きていこう!
終劇
追記
なんでこの結論に中々至らなかったかというと、「エヴァがなくてもいい世界」という言い回しがよく理解できなかったからですね。
自分がシンジだったら「使徒が出てこない世界」を願うと思うからです。
「エヴァがなくてもいい世界」というのが私たちの世界のことを言ってるとわかればすんなり理解出来たのかもしれませんが、8+9+10+11+12とか言われて混乱してましたね。
ちなみにこの物語は自分をシンジに投影しなくてもいいと思います。正直私は青年シンジみたいなタイプではないと思います。
むしろケンスケです。
なので私はアスカのような女性と幸せになるのでしょう。
自分をトウジだと思う人は委員長がいますし、カヲルだと思う人にはレイがいます。
加持だと思う人にはミサト、ゲンドウだと思う人にはユイ、リツコだと思う人にはマヤ、シゲルだと思う人にはマコト、冬月だと思う人にはペンペンがいます。
それそれが感情移入できる人になればいいのです。