【その剣の向かう先】

これは困ったことになってしまった。
現状を説明するならば、この一文ですべてが解決できてしまう。うーん、これはどうしたものか。自問すれども答えは得られず、ただただ途方に暮れることしかできないでいる。
自分がいかにも困った表情を浮かべているのが、鏡を見ずとも解る。けれどそんな『いかにも』な顔の私の内心なんてちっとも知らない様子で、目の前の人物は大真面目の表情で私のことを見下ろしている。

「だから、あのヴィンスなどという騎士について、何か知っていることはないか? どこの生まれであるかとか、どこから配属されたのかだとか……」
「ええと……」

と、言われましても、という気持ちである。
目の前に立つのは、青菖蒲宮勤めの証である青いマントを見にまとったご立派な騎士様。その名を……なんだったか、そう、ライネル・マリ・シャロンと仰る、本人曰く青菖蒲宮における若手のホープ、らしい。
なかなか男くさい精悍な顔立ちをしていらっしゃるこの御仁が、高位神官を勤められているクランウェン王弟殿下の世話役である私をとっ捕まえてあれこれ尋問――失礼、質問してきているのは、我が夫エギエディルズ・フォン・ランセントが扮する、クランウェン殿下の護衛役たる騎士、エディルカ・ヴィンスについてである。
その理由は実に簡単で、このライネル青年は、彼に対して、並々ならぬ不信感を抱いているから、だそうだ。
王宮において割り当てられた執務室にて政務をこなしていらっしゃるクランウェン殿下のために、休憩のためのお茶を用意して、ひとりワゴンを押しながら長い廊下を歩いていたところ、突然呼び止められたと思ったら、そのままこうして尋問、もとい質問の雨あられが始まったのだ。まさか私が一人になるタイミングをはかって待ち構えていたわけでもあるまい。となればこれは本当に偶然なのだろう。我ながらなんてついていないのか。
エディルカ・ヴィンスという架空の騎士に対する不満は、先達ての大神殿におけるクランウェン殿下襲撃事件を見事な手腕で解決したことにより、かなり軽減したと聞く。しかし、すべてが解消された訳ではない。現場に居合わせたならばともかく、人伝に聞いただけに過ぎないならば、「噂が噂を呼んで誇張されているのではないか」なーんて思われても仕方がない訳だ。それこそ、このライネル青年のように。

「姫様とクランウェン殿下のご意向ということだが、あんな男、青菖蒲宮どころか王宮のどこでも見たことがないぞ。神殿から出向してきた訳でもないらしいではないか。一体どんな汚い手を使って姫様達に近づいたのが、解ったものではないな」
「はあ……」
「出身もこれまでの経歴もさだかでない騎士など聞いたことがない。いくらなんでも怪しすぎると、貴女とてそう思うだろう?」
「それは、まあ、そうですね」
「そうだろうそうだろう。確かに見目はそれなりに? まあ、その、悪くはないが。それでもあんな不審な男よりも、私の方がクランウェン殿下の護衛役にふさわしいと思わないか?」
「……ええと」
「貴女が真実クランウェン殿下に忠義を示すならば、ぜひともそう進言すべきだ。本来護衛役としてふさわしいのは、この、ライネル・マリ・シャロンのような、出自も経歴も何ら恥じるところのない騎士であるべきだと、貴女もそう思うだろう?」
「…………」

――ああ、なるほどなるほど。ほとんど聞き流していたけれど、ここまで言われて、ようやく何故このライネル青年が私に絡んできたのか合点がいった。
何やら期待を込めて私を見つめてきているこの青年はつまり、私に、クランウェン殿下の護衛役に自分がなれるようお伝えすべきだと、そう言いたい訳だ。大方、クランウェン殿下や姫様のご決定に直接異議を申し立てることはできず、今回エディルカ・ヴィンスを推薦したということになっている騎士団長殿にかけ合うこともできず、とはいえぽっと出の田舎騎士が映えある護衛役に収まっていることを黙って見ていることもできずに、最終的に現在クランウェン殿下のおそば付きの中で最もとっつきやすそうな私にちょっかいを出してきたのだろう。
これはてっきり偶然の出会いだとばかり思っていたけれど、もしやこのライネル青年、本当に私が一人になるのを待ち構えていたのかもしれない。だとしたら王宮騎士団も随分お暇なものである。騎士団長殿、監督不行届ですよ――なんて、いつも執務から逃げ回っているのだという友人に脳裏でツッコミを入れていると、そんな私の反応が、ライネル青年の中でどういう化学反応を起こしたのか、彼は満面の笑みをその顔に浮かべて、ワゴンにかけられていた私の手をサッと持ち上げた。
ひえっと身体をびくつかせるこちらの様子を、これまた不思議な化学反応で色好いものであると認識したらしいライネル青年はにこやかに何度も深く頷く。

「やはり貴女もそう思ってくれるのだな。ありがとう、光栄だ」
「え、あ、いえ、その」
「照れることはない。いや、私のような騎士を前にしてならば、その反応は当然のものか。はは、私も罪深い男だ」
「……あの、ええと」
「よく見れば貴女もなかなかに愛嬌のある女性だ。ああ、魅力的、と言うべきか。私がクランウェン殿下の護衛役として改めて任命されたならば、貴女と過ごせる時間もできるのだな。これはやはり是が非でもやはり殿下に進言しなくては」
「…………えええええええっと……」

どうしよう。この青年、とんだおもしろ勘違い野郎さんである。すごい、この短時間でここまで話を飛躍させることができるのは、いっそ才能とでも言うべきなのではなかろうか。
呆れるを通り越して感心した挙句に最終的には尊敬までしてしまいそうだ。手を掴まれていなかったら拍手していたかもしれない。うわぁ、本当にいるんだこういうタイプ。
はー、と、ある意味における感嘆の吐息をこぼし、これまたある意味における尊敬の眼差しでライネル青年を見上げていると、彼はきらりと瞳を輝かせ、ぎゅっと私の手を掴む手に力を込めた。
あ、しまった。そう思っても遅い。つい引きつらせてしまった私の顔を覗き込み、ライネル青年はギラギラと爽やかに笑った。爽やかなのにギラギラとはこれいかに。

「どうだろうか。このまま共にクランウェン殿下の元へ行き、早速私を……」
「――――何をしているのかな?」

おそらくは、直接自分のことを推薦してほしいとでも言うつもりだったのだろうライネル青年のその台詞に被さって、穏やかな笑みを含んだ声が聞こえてきた。
はっと息を飲み振り返る。
そして少し離れた背後に立っていた二人の人物の姿に、私は先程よりももっとわかりやすく顔を引きつらせる羽目になった。

「クランウェン殿下。エディルカ様」
「やあフィリミナ。戻ってくるのが遅いから、迎えに来てしまったよ」
「そ、それは大変失礼を……エディ、ルカ様?」

片手をひらひらとひらめかせて微笑むクランウェン殿下のお姿に一礼しようとしたのだけれど、相変わらずこの手はライネル青年に掴まれたままなのでそれも叶わず、そろそろ放してくれないかなぁという期待を込めて彼のことを改めて見上げようとしたところ、それよりも先に、クランウェン殿下の背後に控えていた騎士――すなわち、エディルカ・ヴィンスが、ツッカツッカと大股かつ早足で、私達の元まで歩み寄ってきた。
大層出来の良い際高級品のお人形のように整いすぎた顔立ちに浮かぶその表情は、『無』である。びっくりするほどの無表情だ。ヒッ! とつい私が息を呑んでしまったのも無理らしからぬことだろう。こ、これは、とんでもなく、ご機嫌斜めどころではなくご機嫌を損ねていらっしゃる……!
ひえええええ、と内心で悲鳴を上げる私とは裏腹に私の手を依然として掴んだままのライネル青年は、とんでもない美貌に恐ろしいほどの無表情を貼り付けた男に気圧されつつも、それでもキッと男のことを睨みつけた。おお、なかなか気概のある青年である。
そうだった、ライネル青年とて、映えある王宮騎士団の、その中でも青菖蒲宮に務めるエリートだ。その眼光は鋭く迫力あるものである。だがしかし、相手が悪い。悪すぎる。

「な、なん……」
「――――いつまで」
「は?」
「いつまで、彼女の手を掴んでいるおつもりで?」

誰の許しを得て? という副音声が聞こえた気がした。続いて、自分は許してはいない、とも。
冷ややかな、どころではない、凍り付くような声音だった。文字通り震え上がるような声音である。確実にこの場の気温がガクンと軽く二、三度下がった気がするのは気のせいではない。
慣れているはずの私ですらこれはやばいと思う怒りなのに、ライネル青年はなんというかこう、どうやら大層鈍く、そして図太い御仁であるようで、私の手をそのまま引っ張ってくださった。
たたらを踏みつつその身体に引き寄せられてしまう私を囲い込むようにして、いかにも小馬鹿にしたようにライネル青年は鼻を鳴らす。

「ハッ! 貴様のような得体の知れない田舎騎士より、私の方がよほど好ましいと、彼女も言ってくれている! 無論、クランウェン殿下の護衛役とて同じことだ。身の程を弁え、さっさと退任すべきだろう!」
「……」

朝焼け色の瞳が、無言で私へと向けられる。口は語らずともその瞳が語っていた。「本当に、そう言ったのか?」と。
言ってない。言ってない言ってない。ひとっこともそんなこと言っておりません!!
そうぶんぶんと首を左右に振る。ついでにライネル青年から身を離そうとするのだけれど、それは悲しいかな男女の力の差、ちっともうんともすんとも離れられない。「照れないでくれないか、かわいいひと」なんて甘ったるくささやかれても鳥肌が立つだけだ。照れてない。それよりも、それよりも、ただ男の視線が痛すぎる……!
ますます冷え込み最早氷点下となった男の視線に震えていると、第三者の手が、私の腕を掴んだ。
その第三者の行動は、私を含めたこの場の誰にとっても予想外のもので、当然ライネル青年も例外ではなく、私を拘束していた彼の手から力が抜ける。そうして私は、今度はその第三者――つまりはクランウェン殿下の元へと引き寄せられることになった。
あらあら? と、私は大きく瞳を瞬かせた。ライネル青年が目を見開く。そして残りの男、エディルカが、すぅっと瞳をすがめた。
三者三様の反応を受けつつ、クランウェン殿下はその唇の弧を深める。

「ならば、こうしようじゃないか」

こうしよう、とは。
というか、近い。とても近い。毎回毎回やけに距離が近いなこのお方。
ドキドキといやに心臓の鼓動の音が大きくなる。うれしはずかしスキトキメキトキスという意味ではなく、つらしおそろしクルシミオソレという意味で。我ながらうまいことを言った。まったく笑えない。
我が夫たる男の視線が、ライネル青年のそばにいた今まで以上に痛くて仕方がないクランウェン殿下の腕の中で、ヒヤヒヤハラハラが止まらない。文字通りの冷や汗が背中を伝っていく。
そんな私に気付いていないはずがないというのにあえて気付かないふりをなさっているクランウェン殿下は、ふふ、と小さく声を上げて笑って、ちらりとその琥珀の瞳をライネル青年へと向けた。ピンッとライネル青年の背が正される。そういう姿は確かに王宮騎士団とはかくありきと呼ばれるふさわしいもので、なんとも複雑な気持ちになってしまった。
さっと見事な一礼を決めるライネル青年を見つめて、クランウェン殿下はことりと首を傾げた。

「君……ええと、名前は何と言ったかな」
「は! 自分は、ライネル・マリ・シャ……」
「ああそう。じゃあ君、このエディルカと、ひと勝負してごらん」
「は……?」

ぽかん、と、ライネル青年の口が大きく開かれた。私も同様である。そして男が器用に片眉をつり上げた。
だが、そんな私達の反応をスルーしてクランウェン殿下は続ける。

「私の護衛役になりたいと言うくらいだ。それなりに腕に覚えがあるのだろう? エディルカに勝てたら、君に護衛役を任せようじゃないか。私とて、より優れた者に守られたいからね」

……つまり、『こうしよう』とは、『エディルカ・ヴィンスとライネル・マリ・シャロンが勝負して、勝者をクランウェン殿下の護衛役として新たに任命しよう』ということか。
いやいやいや、それはいくらなんでもあんまりだろう。
エディルカ・ヴィンスの護衛役任命が、そもそも唐突なものであったのにも関わらず採用されたのは、エディルカの正体がエギエディルズ・フォン・ランセントであり、姫様と騎士団長殿の保証が約束されていたからだ。でなければこんなゴリ押しが通用するはずがない。その決定を、こんな些細なことでひっくり返すことなんて今更許されるはずがない。流石に私だってそれがまずいということは解る。
思わず「殿下」と呼びかけると、間近の距離で「うん?」とクランウェン殿下は微笑まれた。
わあ、なんて素敵な笑顔……なんて言っている場合ではない。ここでひいてなるものかとその笑顔を睨み返す私の耳に「望むところです!」という大変元気と威勢がよろしい返事が聞こえてきた。
そちらを見遣れば、ライネル青年が拳を握りしめ、瞳をギラギラと輝かせていた

「お任せください、クランウェン殿下! このライネル・マリ・シャロン、必ずや殿下のために勝利を捧げてみせますとも!」
「うんうん、期待しているよ。エディルカ、君もそれで構わないね?」

まさか断るはずもあるまい、とでも言いたげなクランウェン殿下の問いかけに、男は静かに一礼して答えた。すなわち、是、と。
いやいやいやいやいやいや、待て待て、待ってほしい。何一つよいことなどないのだけど、なにをこの男どもは勝負に持ち込むことを当たり前のように受け入れているのか。
私か? 私の方がおかしいのか? そんな馬鹿なという話である。
おろおろと男どもの顔を見比べていると、ライネル青年が「私の勝利はクランウェン殿下のためのものだが、ぜひその姿を君に見届けてほしい」などと言い出し、バチコーン☆と物理的な衝撃をもたらしそうな大きなウィンクを残し、「それでは騎士団の鍛錬場へ先に参ります!」と足早に駆け去ってしまった。
そんな馬鹿な。嘘でしょう。
唖然とその後ろ姿を見送る私を腕に抱いたまま、クランウェン殿下が「面白いことになったなぁ」と楽しげに呟いた。
だ、だれのせいだと……! そう私が再び睨み上げようとしたその時、ぐいっと力強く別方向へと引っ張られる。あっと思った次の瞬間、私の視界は青一色に染まった。騎士団のマントの色である。
私をその腕の中に有無を言わさず引き寄せた男は、反射的に逃れようとする私の抵抗をすべて封じ込めて、私の代わりにクランウェン殿下をそれはそれは冷たい目で睨み付けた。おやおや、とクランウェン殿下は肩をすくめる。

「こわいこわい。ほら、早く鍛錬場へ行かなくていいのかい?」
「……もちろん参りますが、殿下にも、そしてランセント夫人にも、同席していただきます」
「もちろんそのつもりだよ」

クランウェン殿下はあいもかわらず大変にこやかである。私にできることはと言えば、男の腕の中で大人しくしていることだけだ。
けれどもそれがどうにも歯痒かったから、男以外には聞こえないような小さな声で、エディ、と呼びかける。見上げた先にある朝焼け色の瞳に宿る光が、ほんの少しだけやわらぎ、そうしてやっと私のことをその腕は解放してくれる。

「ふふ、じゃあ三人で行こうか」

鍛錬場はこっちだったかな、と、颯爽と歩き出すクランウェン殿下の後に続き、私と男も歩き出す。
……うう、なんでまたこんなことに。
そう私が頭を抱えたくなったのも無理はないと思っていただきたい。そのまま青菖蒲宮の鍛錬場に三人揃って到着したその時、私のその頭を抱えたくなる思いは大きな衝動となって私を襲った。
クランウェン殿下、そしてその護衛役たる騎士エディルカ・ヴィンスの登場に、わっと鍛錬場が沸く。
そう、湧いたのである。
驚くほどのギャラリーが、鍛錬場に集まっていた。普段は騎士や衛兵しかいないはずであるというのに、王宮勤めの侍女や魔法使い、執務官、厨房勤めと思われる皆様などなどなど、多岐にわたる職種の方々が揃い踏みである。
な、なんだこれ。唖然と固まる私をよそに、クランウェン殿下は手を挙げて歓声に応えていらっしゃり、男は涼しい顔ですべてを受け流している。私だけが状況についていけていない。
なんでまたこんなことに、という疑問は、こちらに向かって駆け寄ってくる、先程別れたばかりのライネル青年の「証人は多い方がいいかと思いまして!」という叫びによって氷解した。なるほど彼がわざわざギャラリーを集めてくれたのか。はー、ほー、ふーん、なるほど。なんて、なんて、余っ計な真似を……!
またしても頭を抱えたくなる私を置き去りにして、クランウェン殿下の目配せを合図に、男が鍛錬場の中心へと向かう。相対するのはもちろんライネル青年だ。

「逃げずにここまでやってきたことについては、まあ認めてやってもいいぞ」
「……」
「なんとか言ったらどうだ!」
「…………」

挑発するようにライネル青年が怒鳴っても、男は何も言わない。ただ静かに腰の剣に手をかける。
ぐぬぬぬぬと唸ったライネル青年もまた、腰に提げていた剣を抜き払った。
彼に審判の役目を頼まれたらしい騎士団員が、男とライネル青年の様子を伺う。

「始め!」

凛とした会戦の合図。ワッと歓声が上がる。
先に地を蹴ったのはライネル青年だった。自称若手のホープという言葉に嘘はなかったらしく、その動きは洗練されており、剣戟は素人目にも鮮やかなものだ。
次々と繰り出される剣を、男は時に受け、時に流す。防戦一方の男の姿に、女性陣からは「エディルカ様ー!」と悲鳴混じりの声援が。そして男性陣からは「やっちまえライネルー!」という野次が飛ぶ。
クランウェン殿下のおそばに控えつつ、私は両手を胸の前で祈るように絡ませつつ、ハラハラと試合を見守っていた。
あ、ああ、危ない! そう何度も声を上げそうになる。騎士団長殿といい勝負を繰り広げるくらいに剣についてもそれなり以上の腕前であるはずなのに、男は劣勢を強いられているように見えた。ライネル青年の勢いに呑まれているのか。そんなかわいいところなんて持ち合わせているような男じゃないくせに、ああ、どうしよう、見ていられな……

「そんなに心配せずとも大丈夫だと思うけれどね」
「え?」

隣から聞こえてきた笑みを含んだ声音に、やっと瞬きを思い出す。ずっと見開いていたせいで乾燥し、瞬きのおかげで涙のにじんだ目でそちらを見上げると、クランウェン殿下がやはり微笑みをたたえたまま、こちらを見下ろしていた。

「なかなかあの、なんだったかな、そう、シャロン家の若者もそれなりに悪くはない腕のようだけれどね。それでも心配は無用だと思うよ」

どの口がそんなことを言うと言うのだろう。一体誰のせいでこんなことになっていると思っているのだ。
ついつい恨めしげにそのお綺麗なお顔を睨み上げると、クランウェン殿下はふふふと至極楽しそうに笑う。

「いやはや。エディルカもなかなか意地が悪い」

私に言われたくはないだろうけれど、と、クランウェン殿下が続けた、次の瞬間だった。
ダンッと力強く更に地を蹴ったライネル青年の剣が、男に迫る。誰のものとも知れない悲鳴が上がった。ひゅっと自分の喉がおかしな音を立てたのを感じる。続いて、えでぃ、という、私の音にならない悲鳴。
そうして、それから、キィンッ!! という、高らかな剣戟。

――きゃあああ!
――おおおおお! 

重なり合う歓声。
弾き飛ばされたのは、ライネル青年の剣だった。
空になった手を前にして呆然と立ちすくむ彼の懐に、今度は男が一足で飛び込んだ。ヒッと息を呑むライネル青年の胴に、男の剣の腹がめり込む。
ぐふっと身体を文字通り二つ折りにして、ライネル青年はその場に崩れ落ちた。

「打ち身……いや、骨折かな」

こわいこわい、と、つい先程と同じ調子でクランウェン殿下がうそぶく。
爆発的な歓声の中で、審判役の騎士が「勝者、エディルカ・ヴィンス!」と宣言する。
その声を受けてから、ざわめく周囲に一礼した後、男が汗一つ掻いていない涼しい顔でこちらへと歩み寄ってくる。クランウェン殿下がくつくつと喉を鳴らした。

「散々調子に乗らせて遊ばせてやった後で、一撃必殺とはねぇ。あのシャロンの若者、立ち直れないかもしれないな」
「ここで挫折するようならば、所詮その程度であったということでしょう」
「おやおや、言うね」

こわいなぁ、と、ちっともそうは思っていない様子でクランウェン殿下は肩をすくめた。
え、つまり、わざと劣勢を装っていたということか。なんでまたそんな七面倒臭いことを……と男を見つめていると、その朝焼け色の瞳がこちらを向いた。ばちりと音がした気がした。いくら金髪のカツラを被り、騎士団服に身を包んでいても、その瞳の色は変わらない、いつも通りの美しい色。なんだか妙に安心してしまう。

「……ご無事で、何よりですわ」

そっと頭を下げると、男もまた一礼を返してくれる。同時に、男の声がやけに近くで聞こえてきた。

「お前に手を出されて黙っている訳にはいかないからな」
「!」

その声に勢いよく下げていたはずの頭を持ち上げると、男とまた目が合った。そこに宿る熱に、自分の顔が赤くなるのが解る。
今の声。どうやら魔法で私にしか聞こえないようになっていたらしい。
わ、私の、ため? そのためにわざわざこんなギャラリーの前で……と、喜べばいいのか呆れればいいのか解らず硬直していると、ライネル青年を医務室に運び出した周囲の騎士団員達がわっと男の元に押し寄せてくる。
次は自分と、いやいや俺と、いや僕と! そう口々に男に勝負を挑む騎士団員達のかたわらで、女性陣がうっとりと男に見惚れながらきゃあきゃあとさえずり合う。
ついでにクランウェン殿下に対しての反応も似たようなものだ。男とクランウェン殿下に集まるギャラリーに追いやられ、鍛錬場の片隅まで放り出された私は、そうしてやっと、赤らむ顔を押さえて、その場に座り込みそうになるのを堪えたのだった。
それからというもの、この件により、エディルカ・ヴィンスの実力はより確かなものであると周囲に知らしめられることとなり、クランウェン殿下と姫様、そして騎士団長殿の采配は素晴らしいと誰もが口々に噂するようになったとは言うまでもないことだろう。
「そんなつもりはなかったんだが」と淡々と言い放つ男に呆れてしまった私を誰が責められるというのか。だが男は「俺はお前のそばにいられる理由があればそれでいい」なんてさらに言ってくれるものだから、結局私は、それ以上何も言えなかった。
とりあえずクランウェン殿下のお遊びに付き合うのは、頼むからこれっきりにしてほしいものである。もう本当に、お願いだから。
そういくら言っても、男自身は「俺にここまでさせるお前のどこが無力なんだ?」と首を傾げてくれるので、結局私が「もう知りません!」と悲鳴を上げる羽目になったのである。
完全に余談であるとは解っているが、なんだろう、なんとも納得のいかない余談である。どっとはらい。

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