センシティヴ、という「表現」について

私は、そこら辺のどこにでもいる地味で冴えなくて趣味を糧に生きているメンヘラ。文章を書いたり絵を描いたりしてインドアな時間を過ごしています。

さて、タイトル。センシティヴという「表現」について。

私はもう成人していて、ツイッターも10年以上アカウントを転々としながら運営してきましたし、それだけ作品も書いてきました。未成年、そして成人を経た時間の中で新たなステップを上がるわけです。

センシティヴ、子供には見せられないような様々な表現たち。R18は全部エッチかグロテスクで暴力的で残虐で子供の育成に悪いなんていうことを言いたいんじゃないです。そういうものを目にしたときに傷つく子供も当然いるし、性癖は簡単に歪みますから歪みない子供を作りたい親にすれば確かに悪かもしれないけれど。

それはさておき、「センシティヴ」が深く絡むからこそ表現できるものだって世の中には存在します。政治、宗教、エログロナンセンス、そういったものは結局生きるのに排除しきれません

例えば、肉を食うのだって一部の人にすればグロテスクでナンセンス。もっといいものがある!こんなものだってある!とツイッターで流れてくる紹介に私は新しい世界を見ていますが私は肉を食うのやめません。

そんな方々にとって私は動物の命を奪う最低最悪ヤローなわけですが、逆の立場ならどうでしょう?野菜なんて食べるなんて!なんていう世界観の漫画があったっていいわけです。

人の感じ方はそれぞれ。この文章を読んで「そうだそうだ消えてしまえ!」というのも自由だし、しょうがないんですけど。私が伝えたいのは

センシティヴなものを読むのならば、読解力をつけなければならないし、センシティヴなものを描くならば表現に繊細さを持たせなきゃならないってことです。作品で他者を貶めるのは個人的には最低だと思っています。

結局のところ人の感じ方には個人差があって、どんな作品書いても批判されることはあるので自分が真摯にやっていて、信念的に曲げられないならよっぽどでなければ続けたらいいのでは?とも。

結局そういった危ない橋を渡るならば表現に気を付けないといけないわけですよね。

表現の自由には責任が伴います。その責任をどう果たしていくのか、きっと永遠に完全な正解は出ないのでしょうけど、それを模索することはきっとできる。そう信じています。

ところで、これは余談なんですけど、昨今ネットの普及でエッチコンテンツも簡単に手に入るようになりましたけど、未成年があなたのエッチコンテンツを手に入れてうっかり訴えられたとき責任は成人のあなたがとるのでその取扱い気を付けていきたいですよね。


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